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馬場 高志2026/03/13 10:00:011 min read

AI時代に企業を守る「モート (堀)」とは?――競争優位性の源泉「7つのパワー」の再設計|イノーバAIインサイト -87

AIエージェントの飛躍的な進化がソフトウェア企業のビジネスモデルを破壊するという懸念が、株式市場に波紋を広げ続けています (前回コラム 「SaaSは死んだのか?市場をパニックに陥れたAIエージェントの真の脅威」 も併せてご参照ください)。

 

今回は、直近の市場の動揺を振り返りつつ、AI時代にも崩れない競争優位性=「モート (堀)*」をどう再構築すればよいかを解説します。

 

*モート (moat)は、海外のビジネス記事でよく目にする表現ですが、伝説的な投資家であるウォーレン・バフェットが好んで使用した概念であり、競合他社からの攻撃から自社(城)を守るための「堀」、すなわち持続可能な競争優位性を指します。

 

「2028年AIディストピア」シナリオが引き起こした市場の動揺

2月22日(日曜日)、調査会社シトリニ・リサーチが「2028年の世界知能危機」と題したレポートを公開しました。これは、AIの能力向上によるホワイトカラーの大量失業と個人消費の落ち込みが、企業の利益圧迫とさらなるAI投資(人員削減)という「負のループ」を引き起こすという近未来の仮説シナリオです。

 

レポートでは、ドアダッシュなどの配送アプリが「バイブ・コーディング」によるサービスに代替される可能性や、AIエージェントによる自動の価格比較・決済(ステーブルコインへの移行など)により、旅行、保険、不動産、クレジットカードなど幅広い業界が打撃を受ける将来像が描かれました。

 

あくまで思考実験としての提示でしたが、市場はこのディストピア的ストーリーに敏感に反応しました。翌23日の米株式市場では、言及されたドアダッシュやアメリカン・エキスプレスなどが一時7%超急落し、ソフトウェア関連株への連鎖的な売りを招きました。

 

AIは企業の「堀」をどう壊し、どう強化するのか

AIが競争優位性をすべて切り崩す、という悲観論は正しいのでしょうか?

 

この問いを解くカギが、事業戦略家ハミルトン・ヘルマーが提唱した「7つのパワー」です。ベンチャー投資家タナイ・ジャイプリアとアンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)の分析記事はともにこのフレームワークを使い、AIが各パワーにどう影響するかを詳細に検討しています。以下では、その知見をもとに7つのパワーを一つずつ見ていきましょう。

 

(7つのパワーについて、よりくわしく知りたい方は、ヘルマーの著書「7 POWERS 最強企業を生む7つの戦略」をご参照ください)。

 

  • 規模の経済 (Scale Economies)

生産量や顧客数が増加するにつれて単位当たりのコストが低下し、小規模な競合が追いつけないコスト優位性を生み出します。

 

具体例: 数百万の顧客にデータセンターのインフラ投資を分散させるAWSや、巨額のコンテンツ予算を償却するネットフリックスが代表的です。

AIの影響: 従来、大企業は膨大なエンジニアや営業部隊を抱えることでコスト優位性を築いてきました。しかし、20人のチームがAIエージェントを駆使して大規模組織に匹敵する開発速度を出せるようになり、労働力ベースの規模の優位性は弱まります。一方で、生成AIの基盤モデルやインフラのレイヤーでは、引き続き規模が重要な力となります。

 

  • ネットワーク経済 (Network Economies)

参加者が増えるほど、そのプロダクトやネットワークの価値が高まる現象です。

 

具体例: WhatsAppのような通信アプリや、ドアダッシュのようなマーケットプレイスが該当します。a16zは、セールスフォースのサードパーティ製アプリのエコシステムや、Figma上のデザイナーとエンジニアのコラボレーションも強力なネットワーク効果だと指摘しています。

AIの影響: AIエージェントが複数のプラットフォームをまたいで最安値を探す能力などによって、単なる価格比較のような表面的なネットワーク効果は無効化されます。しかし、即座に需要と供給がマッチングする流動性、参加者の密度や稼働状況、配達員の密度、評判の履歴などの、構造的なネットワークの価値はむしろ増幅されます。

 

  • カウンター・ポジショニング (Counter-Positioning)

新規参入者が、既存企業が自社の既存ビジネスを自己破壊(カニバライゼーション)することなしには模倣できないような、新しいビジネスモデルを採用することです。

 

具体例: ライセンス料一括前払いに依存していたオンプレミスソフトウェア製品に対してSaaS企業はサブスクリプション価格モデルで攻勢をかけ成功しました。

AIの影響: AIを前提とした「アウトカム・ベース(成果報酬型)の価格設定」や「エージェントによる完全自動化」は、既存SaaS企業の「アカウント課金(Per-seat)」モデルを破壊する強力な武器となります。カスタマーサポートの分野で、AIスタートアップのDecagonが「解決した問い合わせ件数ベース」の課金モデルで急成長しており、アカウント課金のZendeskは既存顧客からの収益を「共食い」することなしに追随することはできません。

 

  • 乗換コスト (Switching Costs)

顧客が他のプロダクトへ乗り換える際に直面する、データ移行の複雑さや再学習の手間といった大きな摩擦のことです。

 

具体例: 企業の営業プロセスに深く入り込んだセールスフォースや、人事規制と密接に統合されているWorkdayなどが挙げられます。

AIの影響: 7つのパワーの中で、AIの直撃を最も受けるのが「乗換コスト」です。従来は、システム移行には膨大な時間とコスト、そしてリスクが伴いました。その「面倒さ」こそが最大の防波堤だったのです。しかしAIエージェントは、データのマッピング、移行手順の自動化、ユーザー教育の補助まで担えるようになりつつあります。移行プロジェクトは短期化し、心理的ハードルも下がります。

 

  • ブランディング (Branding)

品質や信頼のショートカットとして機能し、顧客の評価コストを下げる効果です。

 

具体例: IBMやマイクロソフトなどのエンタープライズブランドや、StripeやShopifyに対する根強い信頼が該当します。

AIの影響: AIエージェントが製品の性能やコストを体系的に比較・評価するようになるため、マーケティング主導のブランド効果は薄れます。一方で、失敗が許されない基幹業務における「制度的信頼」としてのブランド価値は依然として重要な意味を持ちます。

 

  • 競合なきリソース (Cornered Resource)

独自のデータや特許など、競合他社がアクセスできない重要な資産をコントロールしている状態です。

 

具体例: S&Pの信用格付けや、米国の不動産データ大手CoStarが労力をかけて入手している商業用不動産データ、ブルームバーグのライブ市場データなどが該当します。

AIの影響: 公開データを安価にスクレイピングできるようになったため、一般的なデータの価値は低下しました。一方で、物理的なオペレーションや規制に守られた排他的なデータは、AIモデルの性能を飛躍させる「燃料」として、その競争優位性をかつてなく増大させます。

 

  • プロセス・パワー (Process Power)

組織内に深く根付いたルーティンが時間をかけて複利的に働き、スピードや品質で優位性をもたらす力です。

 

具体例: トヨタ生産方式や、Netflixのデータ主導のコンテンツ承認プロセス。a16zの例では、特定の法律事務所の働き方やテンプレート、パートナーの好みを深く理解し、ワークフローに組み込まれたAI「Harvey」が挙げられます。

AIの影響: AIは一般的なデジタルプロセスの優位性をコモディティ化します。しかし、独自のデータや暗黙知に基づいたプロセス・パワーは健在です。特定の組織の深層ワークフローに統合されたプロセス知識は、模倣困難な強力なモートとなります。

 

7つのパワーはAIによってどう変質するのか。要点を整理すると以下の通りです。

 

「7つのパワー」とAIの影響まとめ

 

7つのパワー

説明

具体例

AIによる影響と今後の見通し

1

規模の経済

生産量増加による単位コストの低下

AWS、Netflix

労働ベースの優位性は弱まるが、インフラ・基盤モデル層での重要性は継続。

2

ネットワーク経済

参加者増加による価値の向上

WhatsApp、Salesforce

表面的な囲い込みは弱まるが、深い流動性と信頼に基づくネットワーク効果はより強力に。

3

カウンター・ポジショニング

既存企業が模倣できない新ビジネスモデル

SaaS vs オンプレミス、Decagon

エージェント化により新たな課金モデルの波が到来。新興企業にとって強力な武器となる。

4

乗換コスト

乗換え時に生じる摩擦やコスト

Salesforce、Workday

AIが移行作業を自動化・劇的に効率化するため、最も大きな打撃を受けて弱体化する。

5

ブランディング

評価・選択のショートカットとなる信頼

Microsoft、Stripe

エージェントによりマーケティング効果は低下するが、制度的信頼・安全性としての価値は強化。

6

競合なきリソース

競合がアクセスできない独自データ等

S&P、Bloomberg

公開データの価値は下落する一方、真に排他的な高品質データの価値はAIモデルの源泉として上昇。

7

プロセス・パワー

組織に根付いた複利的なルーティン

トヨタ生産方式、Harvey

一般的なプロセスはコモディティ化するが、顧客のワークフローに統合されたプロセスは模倣困難な障壁。

 

おわりに

AI脅威論が引き続き市場を揺るがしていますが、2つの分析記事が示すように、AIはソフトウェア産業の終焉を意味しません。「乗換コストによる顧客の囲い込み」といった旧来の障壁が崩れ落ちる一方、「競合なきリソース」や「プロセス・パワー」を磨き上げた企業がより大きな勝者となる——「創造的破壊」の入り口に過ぎないのです。

 

重要なのは、AIを「コスト削減ツール」として導入することではなく、自社のモートを再設計する戦略として組み込むことです。自社のビジネスモデルがどの「パワー」に依存し、AIによってどう脅かされるかを冷静に見極める。その上で、今回紹介した7つの視点から持続可能な競争優位性をどう構築するかを戦略的に考えていくことが、今まさに求められています。

 

▼参考記事


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馬場 高志

1982年に富士通に入社、シリコンバレーに通算9年駐在し、マーケティング、海外IT企業との提携、子会社経営管理などの業務に携わったほか、本社でIR(投資家向け広報)を担当した。現在はフリーランスで、海外のテクノロジーとビジネスの最新動向について調査、情報発信を行っている。 早稲田大学政経学部卒業。ペンシルバニア大学ウォートン校MBA(ファイナンス専攻)。