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馬場 高志2024/06/21 10:00:001 min read

AIは豊かな社会をもたらすか?-アセモグル教授の提言|イノーバウィークリーAIインサイト - 6

AIは仕事を奪うという不安の増大

生成AIの能力が向上する中で、AIは単なるコパイロット(副操縦士)の役割を超えて、自律的に仕事を遂行するAIエージェントに進化しつつあります。この見方については、以前のコラムで詳しく紹介しました(「AIエージェントの進化 – セコイアキャピタルが示す最新トレンド」)。

こうした中、AIに仕事を奪われるのではないかという不安は増しています。実際、AIによる自動化による人員削減のニュースを目にするようになりました。例えば、スウェーデンのフィンテック企業クラーナ(Klarna)では、生成AIを活用してカスタマーサービスの3分の2を自動化し、フルタイムのカスタマーサービス要員700人分の仕事を置き換えています。同社のCEOセバスチャン・シェミアトコフスキー氏は、さらに最近のXの投稿で「AIのおかげで写真家やイメージバンク、マーケティング代理店にかける費用が減った。社内のマーケティングチームの人数は昨年の半分になったが、より多くのものを制作している」と発言し、これは、人員削減を自慢すべき良いことと考えていると批判を浴びました(Klarna CEO faces backlash for saying AI let marketing team 'half the size it was last year' do more work, saving millions)。

AIが雇用や社会に与える影響について、私たちはどう考えるべきなのでしょうか? 今回は、過去10年の間に世界で最も論文が引用された経済学者として知られるマサチューセッツ工科大学(MIT)のダロン・アセモグル教授たちの議論をご紹介します。

テクノ楽観主義

私たちは一般に、技術革新は、創造的破壊といわれるように衰退する仕事や産業を生むという破壊的な側面があるものの、それを補って余りある新たな仕事と産業が生み、結局は社会全体が繁栄をもたらすであろうと考えています。シリコンバレーのビジョナリーの一人であるマーク・アンドリーセンは、昨年、高まるAIリスクを憂慮する勢力に対抗して「テクノ楽観主義者宣言」と題されたブログ記事 を発表しました。そこでは、「テクノロジーの力による生産性の向上は、経済成長、賃金上昇、新産業と新規雇用の創出の主な原動力である」とのべられています。

これに対し、アセモグル教授は新しいテクノロジーが必然的、自動的に繁栄につながるわけではなく、その影響は経済的・社会的・政治的な選択に左右されると主張しています。

技術と不平等の歴史的視点

アセモグル教授とMITの同僚であるサイモン・ジョンソン教授は、共著「技術革新と不平等の1000年史」(早川書房 2023年12月20日刊)の中で、1000年にわたる技術革新と人類の歩みを再検討し、この主張を展開しています。

「テクノロジーの進歩は共有利益をもたらすという楽観主義の根底には、「生産性バンドワゴン」というシンプルで強力な一つの考え方がある。これは、生産性を高める新しい機械や生産方法は賃金をも上昇させるという主張だ」と著者たちは説明します。バンドワゴンというのはパレードの先頭を進む楽隊者のことで、テクノロジーの進歩は起業家や資本家だけでなく、あらゆる人を引っ張り上げてくれるというロジックです。

しかし、生産性バンドワゴンが生じるのは、必然ではなく、たまたまのことに過ぎません。20世紀初頭にアメリカで、フォードやGMが、新型の電気機械を導入し、より効率的な工場を建設し、低価格の車を発売すると、生産性は急上昇し、それに伴ってさまざまな関連の職種や関連の業種の雇用は増加し、経済界全体で賃金も増加しました。しかしながら、バンドワゴン効果が必ず起きるとは限りません。

まず、生産性が向上したからといって、労働者への需要が増えるとは限りません。労働者を追加することで、生産量が増大したり、サービスを提供できる顧客が増えたりして追加の収益が上がる見込みがない限り雇用主は雇用を増やすことはないでしょう。20世紀前半のフォードやGMは、追加の需要を満たすために当時は機械化されていなかった溶接工や塗装工を雇いましたが、産業用ロボットを導入した今日の自動車メーカーは労働者を増やす必要はありません。

また、著者たちが「そこそこのオートメーション」と呼ぶ生産性向上が小さい自動化でも、新たな雇用はほとんど生まれません。たとえば、食料品店のセルフレジは、商品をスキャンする作業を従業員から顧客に移すにすぎず、生産性が大きく向上するわけではありません。セルフレジの導入で、レジ係の仕事は減りますが、ほかの職場で新たな仕事が生まれることはなく、食料品の売上が増えるわけでもありません。

さらに、たとえ生産性の向上が労働者への需要が増加しても、すべての人の賃金と生活水準を押し上げるとは限りません。雇用主が技術革新で得られた利益を労働者と分かち合うかどうかにかかっています。歴史的には、中世ヨーロッパで農業の生産技術が向上しても農民の生活水準はほとんど改善しませんでした。産業革命初期のイギリスでも工場主が裕福になる一方で、賃金は上がらず、労働者の生活水準が悪化する例も多く見られました。20世紀に労働者が組織化して交渉力が上がり社会の規範が変化するまでは、労働者の配分が増加し賃金や生活水準があがることはなかったのです。

アセモグル教授たちは、AIによって私たちが共有できる繁栄を実現するためには、2つのことが重要だと主張します。

第一に、技術開発の方向性を、「人ができることの自動化ではなく、人間の能力を拡大する方向に転換すること」です。AIを単なる労働の代替物としてではなく、人間の能力を補完し、伸ばすツールとして活用する。それが、より創造的で付加価値の高い仕事を生み出すことにつながるというのです。

第二に、AIによる生産性向上の恩恵を、資本と労働でシェアできる制度や仕組みを整備することです。AIがもたらす利益を一部の企業やエリートが独占するのではなく、社会全体で公平に分かち合う。そのための制度設計が不可欠だと訴えています。

人間の能力を補完するAI

アセモグル教授たちによれば、米国では1870年から1970年にかけての100年間は、伝統的な仕事の自動化を新たな仕事の創出が上回り、産業とサービス業における雇用が拡大した結果、賃金が向上しただけでなく、危険も少なく、肉体的疲労も少ない労働がもたらされるという好循環が続いた時代でした。しかし、1970年以降、このバランスが崩れました。その後50年間、自動化が更に進む一方で、新しい仕事の創出は、特に4年制大学の学位を持たない労働者にとっては鈍化しました。非大卒労働者はコンピュータ化によって工場やオフィスから追い出され、清掃、警備、フードサービス、レクリエーション、娯楽などの低賃金サービスに従事することが多くなり、賃金の二極化が進んでいるといいます。

問題は、生成AIは、賃金の高い雇用を創出することなく、既存の自動化の流れを加速させるだけなのか、それとも、幅広い学歴層の労働者のために、新たな労働補完的な仕事をもたらすのかということです。アセモグル教授たちは、生成AIは適切に活用することで、人間の能力を引き上げ、より付加価値の高いタスクに取り組めるようサポートをする役割を果たせるはずだと言います。

アセモグル教授らは特に、以下の3領域が有望だと考えています(Policy Insight 123: Can we Have Pro-Worker AI? Choosing a path of machines in service of minds):

(1)教育
一斉授業の限界を超えて、一人ひとりの生徒に最適化された学習支援を提供できます。また、授業準備の効率化など、教師の生産性向上も期待されます。AIの力を借りれば、より創造的で双方向的な授業が可能になるでしょう。

(2)ヘルスケア
医療の現場でも、AIによる専門家の能力拡張が期待されます。画像診断の補助、症例データベースの照合、治療プランの提案など、AIの活用次第で医療の質とアクセスは大きく改善できるはずです。看護師などコメディカルスタッフの職務範囲を拡大し、より多くの患者に最適なケアを届けられるようになるかもしれません。

(3)現代の職人的労働者
AIには、ハイスキルな技能労働者の能力を引き上げる余地もあります。例えば電気技師や配管工など、熟練の勘や経験がものをいう職種でも、AIによる知識のデータベース化やリアルタイムの作業支援が可能になります。

今後の方向

冒頭に紹介したAIエージェントに向けた流れや、クラーナ社の事例は、明らかに人間補完型ではなく、人間置換型を目指した動きといえるでしょう。生成AI企業やベンチャーキャピタリストにとっては、人間のサービスを置き換える市場機会は、従来のソフトウエア・ツールとしての市場機会よりも遙かに大きいので、そこを目指しているのです。

現在の生成AIがどこまで本当に人間のサービスを十分な信頼性をもって置き換える能力をもっているのかはまだ明らかではありませんが、確実にその範囲は拡がっていると考えて良いでしょう。こうした中、アセモグル教授たちの言う、技術革新の繁栄の共有のための二つ目の視点(AIによる生産性向上の恩恵を、資本と労働でシェアできる制度や仕組みの整備)も真剣に考えるべき時がきているのかも知れません。

昨年、ハリウッドの脚本家たちの組合が、全米映画テレビ制作者協会に対して、脚本家の報酬体制の改善やAI規制を求めてストライキのニュースが注目を集めました。5ヶ月のストライキの結果、脚本家たちが勝ち取った合意には、生成AIに脚本を書かせないことや、AIの学習のために作品を利用しないよう主張できることが含まれています。一方で、脚本家自身がAIを使うことは状況に応じて可能だということです。

これは、AIによる職業の置き換えを防ぎつつ、AIを活用して労働者の能力向上を図るという、アセモグル教授らが提唱するアプローチの一つの具体例といえるでしょう。

AIの発展は、私たち一人一人の働き方や生活に大きな影響を与えることは間違いありません。重要なのは、私たちがどのようにAIを活用し、その恩恵を公平に分かち合う仕組みを作るかです。それは一部の声に従うのではなく、私たち全員の選択によるべきものなのです。

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馬場 高志

1982年に富士通に入社、シリコンバレーに通算9年駐在し、マーケティング、海外IT企業との提携、子会社経営管理などの業務に携わったほか、本社でIR(投資家向け広報)を担当した。現在はフリーランスで、海外のテクノロジーとビジネスの最新動向について調査、情報発信を行っている。 早稲田大学政経学部卒業。ペンシルバニア大学ウォートン校MBA(ファイナンス専攻)。