マーケティングの元祖、江戸の「三井越後屋呉服店」に学ぶ販促のアイデア

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かのピーター・ドラッカーによると、いまや欧米が先進国である〝マーケティング〟の起源は、なんと三越の前身「三井越後屋呉服店」(越後屋)にあったそうです。
1650年頃、三井家により江戸で開業された越後屋の商売には、販売方法や販促活動のアイデア、顧客との関係構築のコツがいっぱい。
今回は、そんな「世界最古」とよばれる越後屋のマーケティングから、現代のビジネスにもいかせるヒントをご紹介します。
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当時の呉服商の常識を変えた! 越後屋の販売制度
それでは、まず販売方法からみていきましょう。当時の一流の呉服商は、得意先の屋敷を訪ねて商品を販売する「屋敷(やしき)売り」や、注文を聞いてからあとで商品を持参する「見世物(みせもの)商い」など、訪問販売が一般的でした。
ところが、越後屋はそうした従来の販売方法にとらわれず、「店前(たなさき)売り」と「正札現金掛値なし」という、画期的な販売方法を世界で初めて導入したのです。
店舗での接客販売を行う「店前(たなさき)売り」
越後屋が採用した店前売りとは、店舗を構えて商品を販売する方法でした。商人が店舗で顧客と対面し、好みや要望、予算に合わせて商品を蔵から持ってきて提示するという、いわゆる〝対面での接客販売〟をできるようにしたのです。
これは、顧客にとっても、店先でさまざまな商品や価格を見て、比較検討をしてから購入できるというメリットがありました。顧客とのコミュニケーションが深まることで信頼関係ができて、リピーターを増やすことにもつながったようです。
世界初! 全員に低価格で販売する「正札現金掛値なし」
従来の屋敷売りでは、顧客によって商品の価格を変えて販売していました。支払いは盆・暮の2回払い、または12月のみの1回払い。しかも、掛けている分だけ高価格だったため、貸倒れや掛売りの金利がかさみ、呉服商にとっては資金の回転の悪さが悩みの種でした。
そこで越後屋は、店舗で販売する商品には「値札(正札)」をつけました。どの顧客に対しても商品を表示どおりの同一価格で販売し、現金取引を奨励。この販売方法は顧客に安心感を与え、支持を得ただけでなく、掛値なしで低価格にできるというメリットがありました。このとき、たくさん売って収益を上げるという〝薄利多売〟のビジネス・モデルが生まれたのです。
現金販売による収入は資金の回転を早めるため、経営が安定するだけでなく、仕入れ先にも喜ばれるようになったとか。こうした越後屋の商法に追随する呉服商が次々とうまれ、その後「新興呉服商」として主流となっていきました。
顧客のニーズに応える販売方法で市場を切り拓く
さらに、越後屋はさまざまな顧客のニーズに対応するべく「切売り」も始めました。当時、一反単位で売るのが習慣だった呉服商の間では禁じられていた販売方法です。
顧客が必要な分だけ売る「切売り」
「切売り」とは、顧客が欲しい分だけ反物を切って販売する方法でした。一反単位で購入すると、子ども用の着物を仕立てたいときには、きれが余ってしまいます。越後屋が当時の常識を破り、顧客のニーズに応じて切売りを行ったところ、子ども客、ひいては母親である女性客に好評を博し、結果として大きな需要を掘り起こすことになりました。
また、子どもはそのうち成長して、結婚します。結婚式は、呉服屋にとって最大の販売チャンス。潜在的な顧客の囲い込みという点でも、切売りは効果を発揮しました。
買ってすぐに着られる「仕立て売り」
このほかに、反物を即座に仕立てて渡す「仕立て売り」(現代でいうイージーオーダー)も、江戸の人々の間で便利だと話題となりました。やがて越後屋は「芝居千両、魚河岸千両、越後屋千両」と、1日千両を売り上げる芝居や魚河岸と並び称されるほどに繁盛するようになったのです。
ただし、そんな越後屋に嫉妬した呉服商から商売を妨害されたことも。店舗に放火するとの脅迫を受けたり、不良品を扱っていると悪質な訴訟を起こされたりもしたそうです。イメージが悪くなり、一時的に顧客離れもありましたが、幕府から御用に任命されたことにより直接的な妨害はなくなりました。
越後屋の商法が、当時、それほどまでに斬新な発想だったということがわかるエピソードだといえるでしょう。
チラシでメッセージ発信! 越後屋の宣伝活動
とはいえ、どんなに画期的な販売方法を行っても、消費者たる江戸の人々にそのことが伝わらないと意味がありません。越後屋が利用していたのは、木版印刷された「引札」。現代の宣伝チラシや広告でもある「引札」を配布して、越後屋は積極的に販売促進活動を行っていました。
宣伝チラシの「引札」で積極的に情報発信
引札では、「正札現金掛値なし」という新しい販売方法を行っていること、低価格なだけではなく商品にも特色があること、年賀大安売りなどのイベント情報などを紹介。
まだ娯楽の少なかった江戸時代に、越後屋が配布するメッセージ性の強い引札は、人々が買い物の楽しみを広げる入口となり、集客につながりました。これが、店舗や商品を宣伝することが日本文化に定着するきっかけだったといわれています。
越後屋マークを統一して信頼感を高めたブランディング
(図)越後屋マーク
越後屋のすごいところは、販売方法や販売促進活動だけでなく、当時からブランディングも実践していたことです。商人の世界では、屋号に対する信用を重視する傾向にありましたが、越後屋はビジュアルによるブランドイメージアップ戦略を考えました。
越後屋ブランドの認知度とイメージアップへ
越後屋のマークは、三井家であることを示す〝丸に井桁が入ったマーク〟でした。これは、丸は天、井桁は地、三は人を意味し、「天地人」の三才を表しているそうです。越後屋は、このマークを看板や店内、暖簾(のれん)、そして奉公人が持ち歩く風呂敷などに入れるようにしました。
越後屋ブランドがあらゆるところで顧客の目にとまるようにしたことは、ブランドの印象を強化することにつながります。そして、実際に越後屋を利用した顧客にとっては、「越後屋ブランドは信頼できる」という品質保証の役割も果たすようになり、そのイメージが徐々に広まっていきました。
結果として、集客につながるばかりでなく、長期的な購買行動に結びついていったのです。なお、このマークは三井グループを代表する商標として、いまも一部の三井系企業の社章へと受け継がれています。
越後屋をヒントに〝古くて新しい〟マーケティング戦略を
このように越後屋の商売には、商品展示、販売、接客、広告宣伝、そしてブランディングまで、現代のマーケティングの萌芽を見いだすことができます。越後屋のマーケティングの極意は、店舗で接客にあたる店員が顧客とコミュニケーションをしながら、その過程で得た情報に基づいて満足できる商品を提供することにありました。そして、越後屋のファンになった顧客が商品を買い続けるという関係性をつくったのです。
ここには、コンサルティング・セールス、カスタマー・リレーションシップ・マネジメント(CRM)、顧客データベースづくりなど、より顧客との深いコミュニケーションが求められる現代のWebマーケティングにこそいかせる要素が詰まっています。越後屋をヒントに、〝古くて新しい〟マーケティング戦略を考えてみましょう。
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参考:
- 『全史×成功事例で読む「マーケティング大全」』(酒井光雄、武田雅之著、かんき出版)
- 『三井越後屋のビジネス・モデル―日本的取引慣行の競争力』(武居奈緒子著、幻冬舎メディアコンサルティング)
- 三井の歴史|三井広報委員会
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