生成AIの進化とともに、「AIは仕事をどう変えるのか?」「AIは人間の仕事を奪うのか?」という問いが、より差し迫ったものになってきました。
今週のコラムでは、こうした問いについて、海外の最新の議論や研究を基に深く掘り下げてみたいと思います。AIが雇用に与える影響について、これまで漠然と語られてきたイメージを覆す、いくつかの重要な視点をご紹介します。
AIが若者の雇用を奪っている? スタンフォード大学が示す「有力な証拠」
「AIが仕事を奪う」という議論が過熱する中でも、特にその影響を受けやすいとされるのが、社会に出たばかりの若い世代です。これまで、AIが本当に若者の就職難を引き起こしているのかについては、さまざまな意見が飛び交い、決定的な証拠は見つかっていませんでした(「AIが就職難を招く本当の理由:就活プロセスを破壊するAI」もご参照ください)。
しかし、米スタンフォード大学の経済学者たちによる最新の研究が、この議論に新たな有力な証拠をもたらしました。彼らは、数百万人の労働者をカバーする給与計算データ(米国最大の給与計算サービス会社ADPのデータ)を分析し、AIが若者の雇用に与える影響について、これまでになく明確な証拠を発見したのです。
研究によると、ChatGPTの登場後、ソフトウェア開発者やカスタマーサービスといったAIの影響が大きい職種では、22〜25歳の若手雇用が13%減少していました。
年齢グループ別従業員数ソフトウェア開発者(出典:スタンフォード大学論文)
年齢グループ別従業員数:カスタマーサービスエージェント(出典:スタンフォード大学論文)
一方で、ホームヘルパーのようにAIの影響を受けにくいとされる職種では、若者の雇用は安定、あるいは増加していました。つまり、AIの影響は一様ではなく、特定の職種に集中していることが分かります。
さらに興味深いのは、AIの利用目的によって、雇用への影響に明確な差が見られた点です。研究では、AIの利用を、人間の仕事を完全に代替する「自動化(Automation)」と、人間の能力を補助し高める「拡張(Augmentation)」の2つに分類しました。
その結果、AIの利用が「自動化」に近い職種(例:ソフトウェアエンジニアリング、監査、会計など、明確なワークフローを持つタスク)では、若者の雇用が大幅に減少しました。対照的に、AIが「拡張」ツールとして使われる職種(例:より複雑な、あるいは管理的な役割)では、そのような雇用の減少は見られなかったのです。
この研究は、AIが単に全ての仕事を一様に脅かすのではなく、その影響は職種やAIの使われ方によって大きく異なることを、具体的なデータをもって示しました。特に、定型的なタスクが多く、AIによる「自動化」が進みやすいエントリーレベルの仕事が、大きな影響を受けている可能性を示唆しています。
なぜ放射線科医の仕事はAIに奪われないのか?
AIが特定のタスクにおいて人間を凌駕する能力を持つことは、もはや疑いようがありません。その象徴的な例として、長年議論されてきたのが「放射線科医」の仕事です。AI研究の第一人者としてノーベル賞を受賞したジェフリー・ヒントン氏が、2016年に「AIはまもなく放射線科医を置き換えるだろう」と予測したことは有名です。実際に、AIがX線画像などから病変を見つけ出す精度は、多くの研究で人間の医師を上回ることが示されています。
しかし、予測から10年近く経った今、放射線科医という職業はなくなるどころか、むしろその需要は増え続けています。なぜでしょうか?
労働経済学では、仕事は「タスクの束である」と定義されています。しかし、プリンストン大学の教授であるアーヴィンド・ナラヤナン氏は、この考え方は現実の仕事を捉えられには不十分ではないかと疑問を呈しています。仕事の最もニュアンスに富み、自動化が困難な部分は、定義された個々のタスクの「境界」に存在するというのです。
放射線科医はその典型です。彼らの業務は、単に画像から異常を見つける「画像認識」タスクだけではありません。
- 患者の病歴や検査結果を統合して診断する
- 治療方針をめぐり他の医師とコミュニケーションを取る
- 最終診断の責任を負う
- 検査プロセス全体の設計を担う
これらは、AIが単独で担うことが極めて困難な、深い専門知識と経験、そして人間同士のコミュニケーションを必要とする役割です。AIは異常所見を見つける「補助ツール」としては非常に効果的ですが、医療全体の文脈を理解し、責任ある判断を下すことはできません。
さらにナラヤナン教授は、多くの組織には、文章化されていなくても重要な役割を果たしている「暗黙知」的なプロセスが存在すると指摘します。「なぜそうするのか」という明確な理由が忘れられていても、それらのプロセスは組織の機能を維持するために不可欠であり、怠れば大きなリスクがあるというのです。こうした実際に起きることがまれな暗黙知をAIが学習することは、学ぶ機会が限られているため、非常に難しいと彼は予測しています。
放射線科医の事例は、AIの能力を過小評価するものではありません。しかし、AIが特定の「タスク」で人間を超えるからといって、そのタスクを含む「職」全体がなくなるわけではない、という重要な教訓を与えてくれます。
「タスク中心」から「システム中心」へ:AIが仕事を変える本当の仕組み
AIと雇用の未来を予測する専門家たちが、なぜ放射線科医の例のようによく予測を外してしまうのでしょうか。ベストセラー作家で企業・政府への戦略アドバイザーとして知られるサンギート・ポール・チョーダリー氏は、その原因を「タスクベースの誤謬(The task-based fallacy)」にあると指摘します。
これは、仕事を単に明確に定義された様々なタスクの固定的な集まりと見なしてしまう、あまりに単純化された考え方です。この視点に立つと、「AIがこのタスクをできるようになったから、この仕事はなくなる」という短絡的な結論に陥りがちです。しかし、チョーダリーは、仕事というものを、ワークフロー、組織、業界といった、より大きな「システム」の一部として捉えるべきだと主張します。
彼が挙げるのが「タイピスト」の例です。かつて、タイピストは会社に不可欠な存在でした。しかし、ワードプロセッサが登場すると、彼女らの仕事は急速に姿を消しました。
ここで重要なのは、ワードプロセッサがタイピストよりも速くタイピングできたからではない、という点です。ワードプロセッサの普及後、タイピング作業自体はむしろ増えました。消えたのは「タイピスト」という職業そのものだったのです。
なぜなら、タイピストという職は、単にタイピングを行うために存在したのではなく、「手書き原稿を清書する際の、修正や再入力にかかる莫大なコスト」を抑えるタイピングの正確性のために存在していたからです。ワードプロセッサは、この修正コストをほぼゼロにしました。これにより、文書作成のワークフロー(システム)全体が根本的に変わり、タイピングというタスクを専門の職として一箇所に集約しておく経済的な合理性は失われ、タイピングは誰もが自分の業務の中で行う、分散されたタスクへと変化したのです。
この「システム中心」の視点から見ると、AIが雇用に与える真の影響が見えてきます。問うべきは「AIがこのタスクを代替できるか?」ではありません。真に問うべきは、「AIが、我々のワークフロー、組織、そして業界の構造そのものを、どのように作り変えるのか?」なのです。
AIは、単に既存のタスクを高速化・低コスト化するだけでなく、これまでコストや技術的な制約のために不可能だった新しいワークフローを生み出す可能性があります。それによって、既存の職の「タスクの束」が意味をなさなくなり、組み換えられ、全く新しい役割が生まれるかもしれないのです。
おわりに
今週は、AIと雇用の関係について、3つの重要な視点を見てきました。
- 具体的な影響の顕在化: スタンフォード大学の研究が示すように、AIはもはや未来の脅威ではなく、特に若年層の雇用において、すでに具体的な影響を及ぼし始めている可能性があります。特に、AIによって「自動化」されやすい定型的なエントリーレベルの仕事は、今後も注意深く見ていく必要があります。
- 「仕事」の複雑性: 放射線科医の事例が教えてくれるように、AIが個別の「タスク」で人間を上回ったとしても、それが直ちに職全体の消滅を意味するわけではありません。現実の仕事は、総合的な判断、責任、コミュニケーション、そして暗黙知といった、AIにはまだ代替が難しい複雑な要素を数多く含んでいます。
- システムレベルでの変革: 最も重要なのは、AIの影響を「タスク中心」ではなく「システム中心」で捉える視点です。タイピストの例が示すように、技術革新の真のインパクトは、タスクの効率化ではなく、ワークフローや組織全体の構造変化に表れます。
重要なのは「AIが仕事を奪うか」ではなく、「AIが働き方のシステムをどう作り変えるのか」という視点です。これは、マーケターにとっても、今後の戦略を考えるうえで欠かせない視点です。AIを個々のタスクにどう活用するかだけでなく、マーケティングという活動全体のワークフローが、AIによってどのように変わりうるのかを見極めること。その変化の兆しを捉え、自らの仕事を再構築できるかどうかが、これからの時代を生き抜く鍵となるはずです。
▼参考資料
- スタンフォード大学論文 「炭鉱のカナリア?人工知能の雇用効果に関する6つの事実」 エリック・ブリニョルフソン教授他
- 「AIが若者の雇用を破壊しているという証拠がさらに強まった」 デレク・トンプソン
- アーヴィンド・ナラヤナン X投稿
