米国のテクノロジー業界において、「AIファースト」という言葉が急速に広まっています。AI活用を企業戦略の最優先事項として、採用や人事評価に関してもAI利用を要件とする方針を打ち出すCEOたちが増えているのです。
一方で、テクノロジー業界では、すでにAIの影響によるレイオフ(=人員削減)や新規採用の減少が始まっているという報道もあります。
本記事では、この「AIファースト」宣言の具体的な内容と、その背景にある組織や働き方の変化、そしてAIが雇用に与え始めている現実的な影響について掘り下げていきます。
各社CEOが語る「AIファースト」
eコマースプラットフォームShopifyのトビアス・リュトケCEOは、社内向けメモで「AIを効果的に活用することは、今やShopifyの全社員に基本的に期待されること」であり、チームは、新しい人材やリソースを要求する前に、AI がその仕事をこなせない理由を証明しなければならないとしています。さらに、人事評価およびピアレビュー(=同僚によるフィードバック評価)の質問にAI利用に関する質問を追加するとしています。
外国語学習アプリのDuolingoのルイス・フォン・アンCEOは、社内向けメモで「AIファースト」企業になることを宣言し、「AIができる業務については、契約社員を段階的に廃止する」、「AI利用は人事評価において評価されるものの一部となる」、「将来の採用ではAI活用能力を重視する」などの方針を打ち出しました。
Boxのアーロン・レヴィCEOも、同社を「AIファースト」企業にするために、AIによって雑務を排除し、絶え間ない実験を促進し、生産性向上によって生まれたリソースを再投資する戦略を語った社内メモを出しました。
フリーランスサービスのオンラインマーケットプレイスのFiverrのミハ・コーフマンCEOは、社内向けメモで、「AIがあなたの仕事を奪いに来るでしょう。私の仕事も例外ではありません」と、より直接的な表現で、従業員に意識改革を促しています。
AIによって、かつて「簡単」と見なされていたタスクはなくなり、能力に対する期待は高まるので、AIツールを使いこなし、自分の職務において、卓越した存在にならなければならないと言うのです。
「AIファースト」の進捗を測るための5つの指標
HubSpotのヤミニ・ランガンCEOは、顧客企業に対するアドバイスとして「AIファースト」の進捗を測るための5つの具体的な指標を提案しています:
- 従業員あたりの収益(遅行指標):AIによって各従業員が生み出す価値が増加しているか。
- 顧客満足度(遅行指標): AIによる生産性向上によって顧客体験が低下していないか、むしろ向上しているか。
- AIツールへのアクセス率(先行指標):承認されたAIツールにどれだけの従業員が容易にアクセスできているか。
- チームごとの週間/日次AI利用率(先行指標):実際にAIを日常的・毎週利用している従業員やチームの割合。
- エージェントによる作業比率(先行指標): AIエージェントやAIコパイロットによって行われている作業の割合。
彼女は、AIファーストとは単にツールを導入することではなく、「働き方を変えること」であると強調しています。
マイクロソフトが提唱する 「フロンティアファーム」
これらのリーダーの発言は、AI導入に伴う組織と働き方の大きな変化の必要性を反映していると言えるでしょう。マイクロソフトが4月に公開した2025年Work Trend Indexレポートは、31カ国31,000人の知識労働者への調査、LinkedInの労働市場トレンド、Microsoft 365の生産性データなどに基づいて、「フロンティアファーム」と呼ばれる新たな組織が出現しつつあると分析しています。
フロンティアファームは、「オンデマンドのインテリジェンス」を中心に構成され、人間とAIエージェントの「ハイブリッド」チームによって運営されます。そうすることで、これらの企業は、迅速に規模を拡大し、機敏に事業を展開し、より早く価値を生み出すことができます。
フロンティアファームへの移行は3段階で進みます。
第一段階では、AIがアシスタントとして作業を効率化し、第二段階ではエージェントが「デジタル同僚」として特定のタスクを担い、第三段階では人間がエージェントに指示を与えてビジネスプロセス全体を実行させます。この段階では、すべての従業員は、AIエージェントを管理・委任・最適化する「エージェントボス」の役割を担うと予測されています。
レポートでは、フロンティアファームはすでに具体化しつつあり、今後2〜5年のうちに、あらゆる組織がフロンティアファームへの道を歩むことになるだろうと予測しています。このレポートのサーベイによれば、 リーダーの82%が、2025年は戦略や業務の重要な側面を見直す極めて重要な年であると回答しており、81%が、今後12〜18ヶ月の間にAIエージェントを戦略に採用していくだろうと答えています。AI導入は加速しており、リーダーの24%はすでにAIを組織全体に導入していると回答しています。
リーダーのほぼ半数(45%)は、今後12~18ヶ月の最優先の労働力戦略として、AIやAIエージェントによるチーム能力の拡張を挙げています。これは、既存従業員のリスキリング(47%)に次ぐ重要度です。一方で、AIを利用した人員削減を検討するとしたリーダーも3分の1(33%)と高い比率でした。
静かに進行するAI失業
マーケティングAIインスティテュートのポール・レッツァーは、企業は公に認めないものの「AIによる『静かなレイオフ』は既に始まっている」と指摘します。The Informationの記事によれば、AIが雇用計画に影響を与えていると認める幹部は半数以上にのぼります。
また、その影響は特に新卒採用において顕著です。ベンチャーキャピタルのSignalFireの調査では、大手テック企業の新卒採用が前年比で25%も減少。AIがエントリーレベルの業務を自動化することで、若手が経験を積む機会が奪われるというジレンマも生まれています。
この動きは、具体的な人員削減にも表れています。マイクロソフトは5月13日に約6000人の人員削減を発表しましたが、その多くがソフトウェアエンジニアでした。これは、同社のサティア・ナデラCEOが「一部のプロジェクトではAIがすでにコードの最大30%を書いている」と述べ、CTOは「2030年までに95%に達する可能性がある」と予測するように、AIによる開発業務の自動化を見越した動きだと見られています。
ソフトウェア開発以外でも同様です。IBMも5月に人事部門を中心に約8,000人を削減しましたが、これに先立ち人事関連の問い合わせ対応や事務処理を行うAIエージェントの導入したことを明らかにしていました。ただし、同社のCEOは、この自動化で生まれたリソースを他部門に再投資しており、結果としてIBM全体の従業員数は増加していると説明しています。
「AIファースト」に対する反発
「AIファースト」の動きには批判の声も上がっています。
DuolingoのTikTokやInstagramのアカウントには、契約社員や人間の教師をAIで置き換えることへの否定的なコメントが多く寄せられました。これを受けて、フォン・アーンCEOはLinkedInへの投稿で「AIファースト」社内メモのスタンスを180度転換し、AIは従業員の業務を「置き換える」ものではなく、同じ、あるいはそれ以上の品質で業務を「加速させる」ためのツールであると述べました。また、同社は以前と同じペースで採用を継続しており、従業員がAIに適応できるようワークショップなどを通じて支援していくことを強調しています。
フィンテック企業Klarnaは、AIチャットボットが700人分の人間のエージェントの仕事をこなせると謳い、1年間人間の新規採用を行っていないなど、AIによる人員コスト削減を積極的に進めている企業として知られていました。しかし、最近のインタビューで同社のCEOは、このAIアプローチは結果として「低品質」につながり、Klarnaは顧客サポート部門などで再び人間の採用を開始せざるを得なくなったと認めています。CEOは、顧客が望む際にはいつでも人間と話せる選択肢があることの重要性を改めて強調しています
おわりに
「AIファースト」の潮流は、単なるツールの導入に留まらず、企業の組織構造、働き方、そして雇用そのものを根底から変えようとしています。
本記事で見てきたように、生産性向上の期待の裏で「静かなAI失業」が現実のものとなり、「AIファースト」アプローチに対する反発の声も上がっています。企業のリーダーたちは「AIファースト」が決して「人間セコンド」を意味するのではないことに注意して、社内外に対するメッセージを発信して行く必要があるでしょう。
この大きな変革の時代において、企業も個人もAIを脅威と捉えるのではなく、人間の創造性や判断力を補完するパートナーとしていかに活用していくか、そのための学びと適応が不可欠と言えるでしょう。
▼参考記事
- 「AIファースト」企業の台頭が仕事の未来を変える
- Shopify CEOの社内メモ
- Duolingo CEOの社内メモ
- Box CEOの社内メモ
- Fiverr CEOの社内メモ
- HubSpot CEOの「AIファースト」進捗指標
- マイクロソフト2025年Work Trend Indexレポート
- AIのレイオフはすでに始まっている しかし、企業がそれを認めるとは限らない。
- AIはすでに技術系のエントリーレベルの職を減らしている可能性、新調査が示唆
- Duolingo CEO、AIファースト発言を撤回: AIが従業員の仕事に取って代わるとは考えていない
- KlarnaがAIファーストから再び人材雇用へと舵を切るなか、新たな画期的な調査により、ほとんどのAIプロジェクトが成果を出せていないことが明らかに
