Skip to content
Close
馬場 高志2026/06/19 10:00:012 min read

「トークンマキシング」の終焉:企業が直面するAIコストの現実と今後の展望|イノーバAIインサイト -94

AnthropicとOpenAIは順調に売上を伸ばし、IPO(新規株式公開)に向けた準備を具体化する中、米国を中心に企業の現場ではある深刻な問題が浮上しています。それは「際限なく膨らむAI経費」です。

ソフトウェア開発におけるAIの驚異的な効果を見た米国の企業では、しばらく前までは、従業員にAIをできるだけ多く利用することを奨励する「トークンマキシング」という言葉が流行していました (イノーバAIインサイト第90回「AIエージェントがもたらすトークン消費経済」 もご参照ください)。

しかし、現在、その過剰な消費を見直す動きが急激に広まっています。本記事では、企業が直面しているコスト問題の要因と、今後のビジネスへの影響について考察します。

目次

 

AI使い放題から利用制限へ転じる米国企業

数ヶ月前まで、大企業ではAIの計算能力を極限まで消費する「トークンマキシング」が推奨されていました。しかし現在、リーダーたちは一転して、AI利用を制限して経費を削減する道を急いで模索しています。

 ※トークンとは、AIがテキストを処理する最小単位(単語やその一部)であり、計算量や利用料金の基準となるものです。 

  • マイクロソフトは、数千人の従業員にAIツール「Claude Code」を使ったコーディングを奨励していましたが、その利用規模が拡大しすぎたため、導入からわずか半年で大半の直接ライセンスをキャンセルし、別のツール(GitHub Copilot CLI)へとエンジニアを移行させています。
  • Uberも社内ランキング(リーダーボード)を作ってまでAI利用を奨励していましたが、わずか4ヶ月で年間のAIツール予算を使い果たしてしまいました。AIコーディングツール利用額に、従業員一人あたり月額1,500ドル(約24万円)の厳格な上限を設ける新たなルールを導入しています。
  • あるAIコンサルタントによると、クライアント企業が従業員のライセンスに使用制限を設けなかった結果、1ヶ月でなんと約5億ドル (約800億円)ものAI経費を費やしてしまったケースもあると報告されています。これは、アメリカの全人口が1ヶ月間にシャンプーやコンタクトレンズに費やす金額に相当します。
  • セールスフォースのマーク・ベニオフCEOは、今年のAnthropicに対する支払い額が約3億ドル (約480億円)に達する見込みであると明かしています。この莫大なコストを抑えるため、同氏は安価なモデルと高価なモデルを自動で振り分ける仕組みの必要性を訴えています。また、同社では、トークン消費が「実際のビジネス成果」にどう貢献しているかを追跡するシステムを導入しています。

 

AIを急いで導入した企業は今、膨れ上がるコストに直面し、AIの過剰使用から脱却する「揺り戻し」の段階に入っています。

 

AIコスト急増を招いた二つの構造要因

なぜこれほどまでにAIの利用コストが跳ね上がってしまったのでしょうか。そこには、主に以下2つの構造的な要因があります。

 

  • エージェントのループ処理によるトークン消費の爆発的拡大: これまでのチャットボットとは異なり、自律型AIエージェントは「計画、ツールの呼び出し、結果の取得、コンテキストの更新、再計画」というループを繰り返します。スタンフォード大学などの研究者による論文『How Do AI Agents Spend Your Money?』によれば、こうしたAIエージェントによるタスク遂行は、通常のコード推論やチャットに比べて1000倍以上のトークンを消費します。エージェントはプロンプトと応答を毎回読み直し、雪だるま式にコンテキストを増大させるため、すべてのステップで計算単位である「トークン」を激しく消費します。
  • 企業向けライセンスの「従量課金制」への移行: コスト増に拍車をかけたのが、プロバイダー側の価格体系の変更です。AnthropicやOpenAIは、大幅な割引が適用される固定定額制から、APIのトークン消費量に直接連動する従量課金制へと密かに移行しました。例えばAnthropicのエンタープライズ製品は、シートごとの月額料金に加えて、標準レートでのAPI利用料が課金される構造に変わりました。OpenAIのCodexも同様に、定額サブスクリプションからトークンベースの請求へと移行しています。

 

OpenAIのサム・アルトマンCEOも、最近の企業向けライブ配信イベントで、現在、企業にとってトークンの予算管理が「大きな問題」になっており、コストへの懸念が企業顧客から寄せられる不満の第2位になっていることを認めています。 アルトマン氏によれば、2026年の初め頃は「誰もコストを気にしていなかった(皆が支出額に完全に満足していた)」ものの、最近、「突然」問題が表面化したと語っています。

 

AIの生産性向上はビジネス成果につながっているのか

トークン消費が爆発的に増える一方で、経営陣は「自社が費やしているこのコストは、生産性向上によって本当に正当化されるのか?」という根本的な問いに直面しています。NBER(全米経済研究所)の論文『Writing Code vs. Shipping Code』は、この点に関して興味深い分析を提供しています。

 

  • 膨大なコード生成は、本当に「製品のリリース」を加速させているか?

AIを使えば膨大なコードを高速で生成できますが、それがそのまま世に出る製品の価値に直結しているわけではありません。NBER論文は、タスクレベルでの劇的な生産性向上は、最終的な製品の出荷(リリース)にはそのまま直結しないことを明らかにしています。ソフトウェア開発は「コード→ ファイル → コミット → プルリクエスト → プロジェクト → リリース」という階層構造になっています。例えば、同期AIエージェントを使用した場合、コード生成量は741%、プルリクエストは65%増加しますが、実際のリリース数はわずか20%の増加にとどまります。階層が上がるにつれて、出力をまとめるために人間によるレビューや統合の判断が必須(ボトルネック)になります。AIが「コードの行」をどれだけ爆発的に生成できても、最終的な「リリース」の数は人間の処理能力に依存してしまうのです。

 

  • AIツールの利用拡大は、本当に「顧客体験」を豊かにしているか

NBER論文によれば、 Apple App StoreやGoogle Playなどの主要アプリ市場を分析した結果、エージェント型AIの普及以降、新しいアプリのリリース数は明らかに増加しました。しかし、リリース後3ヶ月間の総ダウンロード数や評価数などの「実際の利用(消費)」は全く増加していません。 むしろ、ごく一部のユーザー層すら獲得できない(利用者の少ない)アプリの割合が上昇しています。AIがどれだけアプリを量産しても、人間が1日にアプリに使える時間や注意力、そしてアプリストアのランキング枠は限られているため、これらが制約要因となっている可能性が指摘されています。あるいは、今のAIにはまだ魅力あるアプリを作成する能力に欠けているというより深い問題を示唆しているのかもしれません。

 

AIエージェントはモバイルアプリのリリースを増加させたが、利用は減少 (出典:Financial Times)

 

IPOを目指すAI企業に迫るROIの壁

顧客企業側でAIコストの見直しが進む一方で、AIを提供するAnthropicやOpenAIは、今年予定されている新規株式公開(IPO)に向けて歩みを進めています。Anthropicは6月1日に、OpenAIは6月8日に米国証券取引委員会(SEC)に登録届出書(S-1)を提出しました。

AnthropicはIPOに先立ち直近の資金調達ラウンドでの企業価値は9,650億ドル (約154兆円)でした。OpenAIは時価総額1兆ドル(約160兆円)規模でのIPOを目指していると報じられています。

彼らがIPOを成功させるためには、莫大なインフラ投資を正当化するために、エンタープライズ市場における継続的かつ爆発的な収益成長ペースを投資家に証明し続けなければなりません。しかし、企業側がROIの厳しさに気づき、AIの予算に上限を設ける動きが本格化すれば、IPOの評価額を支える「需要の無限の伸び」という前提が揺らぐ可能性があります。

 

「AIコスト問題」の先にあるもの

現在起きている「コストのパニック」は、AIバブルの崩壊を意味するのでしょうか。有識者たちは、これを新技術の導入における正常なプロセスだと見ています。

 

  • 労働コストと計算コストの最適なバランスへ

テクノロジーアナリストのダグ・オローフリンは、ジャーナリストのデレク・トンプソンとのインタビューで、すべての新しいテクノロジーは長期にわたる試行錯誤の期間を必要とすると語っています。企業は「不十分な実験と支出」の段階と、「過剰な実験と支出」の段階、そして「極端な縮小」の段階を行ったり来たりしながら、最終的に人間の労働コストと技術(AI)コストの長期的なバランスを見つけ出していくことになるというのです。

 

  • 生産性のJカーブ

イノベーション専門家のアジーム・アズハーは最近のブログ記事で、この状況を「汎用技術が結果を出すまでには、企業内で長い時間がかかる」という歴史的教訓で説明しています。経済学者のエリック・ブリニョルフソンは、初期段階では生産性が一時的に停滞・低下してから上昇に転じるパターンを「生産性のJカーブ」と呼んでいます。かつて工場の電化でも、企業がビジネス構造を再構築するまで生産性向上は見えませんでした。アズハーは、AIも同様に、ツール導入から組織全体の再設計へと移行する過程にあり、真のROIが現れるまでには一時的な停滞やコスト増を乗り越える必要があると指摘しています。

 

おわりに

「とりあえずAIを使いまくれ」というトークンマキシングの時代は終わりを告げました。企業は今、巨額の請求書を前に冷静さを取り戻し、AIの利用を真のビジネス価値へどう結びつけるかという、より現実的で困難なフェーズに足を踏み入れています。

これはAIへの投資が失敗だったということではなく、技術革新における健全な成長痛といえるでしょう。今後の焦点は、AIの出力をいかに効率的に製品価値へ変換するか、そして膨張する計算コストと人間の労働コストの間に、どのような最適なバランスを見出すかに移っていくでしょう。AIの「魔法」の段階は過ぎ去り、これからは「経営」の実力が問われる段階が本格的に始まろうとしています。

 

参考記事:

avatar

馬場 高志

1982年に富士通に入社、シリコンバレーに通算9年駐在し、マーケティング、海外IT企業との提携、子会社経営管理などの業務に携わったほか、本社でIR(投資家向け広報)を担当した。現在はフリーランスで、海外のテクノロジーとビジネスの最新動向について調査、情報発信を行っている。 早稲田大学政経学部卒業。ペンシルバニア大学ウォートン校MBA(ファイナンス専攻)。