1995年に、「デジタルに存在する」ということの意味は、会社のウェブサイトを作って、それがヤフーのディレクトリ(*注)に掲載されていることでした。その後、インターネット上での企業の活動は目覚ましく発展し、製品・サービスの説明だけでなく、販売、顧客サポート、契約の変更手続きなど様々な機能が、ウェブそしてモバイルアプリで実現されるようになりました。テクノロジー業界で最も影響力のあるリーダーの一人のブレット・テイラーは、2025年には、会社がオンラインで提供しているあらゆる機能を顧客との対話によって実現し、ブランドを体現する企業AIエージェントが、企業のデジタルプレゼンスを担う時代が来るだろうと予測しています。
テイラーは、GoogleでGoogle Mapの開発チームを率いた後、FacebookのCTO、Salesforceの共同CEOを歴任し、2023年末からはOpenAIの取締役会長を務めています。そのテイラーは、現在Sierraというスタートアップの共同創業者として、企業向けAIエージェントの開発に取り組んでいます。
本記事では、テイラーがAIエージェントの未来を語ったインタビューポッドキャストをご紹介します。
No Priors Ep. 82 | With CEO of Sierra Bret Taylor
AIエージェントの3つのカテゴリー
AIエージェントとは、一般的に、「ソフトウェアが自律的に推論し、行動を起こすことができるシステム」と定義されますが、これでは、あまりにも幅が広すぎ、人によってさまざまな解釈が可能です。テイラーは、ビジネスの領域では、以下の3つのカテゴリーに分類して考えるのが良いと言います。
1. 個人用AIエージェント
個人のタスク管理や生産性向上をサポートするAI。例えば、メールの整理、休暇の計画立案、ミーティングの準備、カレンダー管理などを行います。これは人間とコンピューターのインタラクションや多様なシステムとの複雑な統合を必要とし、実現にはまだ技術的なハードルが残っていると指摘しています。
2. ペルソナベースのAIエージェント
特定の職業や役割に特化したAI。例えば、コーディング支援や法律分野の分析作業(例:Harvey AI)などがあります。これらは「狭いが深い」アプローチであり、限定された範囲で高度な専門性を発揮します。テイラーはこの分野はすでに技術的に実現可能であり、今後、いろいろな専門分野でAI技術と領域知識を組み合わせた役立つ製品が生まれるだろうと見ています。
3. 企業AIエージェント
ウェブ上での企業の顧客対応全般を行い、ブランド体験を体現するAI。製品やサービスに関する問い合わせ対応、商取引の実行、カスタマーサービスなど、企業のデジタルプレゼンス全体を担います。この分野も現在の技術で実現可能であり、テイラーが元Googleのクレイ・ベボーと共同創業したSierra はこのような顧客対応の企業AIエージェントを提供しています。
企業AIエージェントの特徴と可能性を詳しく見ていきましょう。
企業AIエージェントの役割
企業AIエージェントは企業のブランドを体現し、一貫したブランド体験を提供します。テイラーは、AIエージェントの性格や対話スタイルをブランドに合わせてカスタマイズできることを強調しています。これにより、高級ブランドならエレガントな対応、若者向けブランドならカジュアルな対応というように、ブランドの個性を反映したコミュニケーションが可能になります。
企業AIエージェントのメリット
AIエージェントは、24時間365日の即時対応、多言語対応、パーソナライズされたインタラクションなど、人間のオペレーターでは難しかった機能を実現します。また、従来は新製品の導入時には教育が必要でしたが、AIエージェントでは即時の情報反映が可能です。
コスト面でも、従来の電話による顧客対応は、一般的に1件あたり約13ドル程度といわれていましたが、AIエージェントはこれを1ドル未満に削減できます。
コストが高いため、企業は今までなるべく電話対応を避けようとしてきました。その結果、顧客はわかりにくく、時間のかかる自動応答システムを使わされ、顧客体験の質は著しく押し下げられていました。企業AIエージェントは、顧客体験を根本的に変革する可能性を秘めています。
企業AIエージェントの設計アプローチ:目標とガードレール
従来のビジネスアプリケーションは、ビジネスプロセスが一連のルールとディシジョンツリーとして表現されたルールエンジンでした。大規模言語モデル(LLM)を活用するAIエージェントは、ビジネスプロセスを、「目標とガードレール」で表現することができます。このアプローチでは、AIに特定の目標を設定してLLM特有の創造性と柔軟性を発揮させつつ、同時に一定の制約(ガードレール)を設けます。
「目標とガードレール」アプローチの核心は、AIに創造性を発揮させる領域と、制限を設ける領域のバランスを取ることです。テイラーは、完全に制御されたAIは機械的になりすぎる一方、制約のないAIは誤情報や不適切なアドバイスなどの問題を引き起こす可能性があると警告しています。適切なバランスを取ることで、ChatGPTのような創造性と魅力を維持しつつ、ブランドの価値や方針を守ることができます。
例えば、カスタマーサービスの場合、AIに一定の創造性を持たせて柔軟な問題解決を図らせつつ、適切なガードレールで企業のポリシーや法的制約を遵守させなければなりません。金融や医療分野では、アドバイスの提供に関して厳格なガードレールが必要になりますが、制約の範囲内で、同時にパーソナライズされた対応も可能になります。
企業AIエージェントが生み出す新たな顧客体験
テイラーは、AIエージェントによって顧客に関する新たな洞察を発見し、新たな顧客体験を生み出すことが可能になるといいます。
予期せぬ顧客ニーズの発見
AIエージェントは静的なウェブサイトとは異なり、予め定義されたカテゴリーやメニューに縛られない、自由形式のテキストボックスを通じて顧客と対話します。これにより、AIエージェントは、文字通り、「顧客の声」を聞き、企業が想定していなかった顧客ニーズや体験をキャプチャすることができます。いわゆる、「ロングテール」の顧客要望を捉えることができます。
有機的で適応的な顧客体験の開発
得られた顧客ニーズに基づいて、新たな顧客体験をより有機的に開発できます。AIエージェントは「常時オン」のシステムであり、単なるA/Bテスト以上に適応的です。企業AIエージェントはカスタマーエクスペリエンスチームが、継続的に顧客体験を改善していくためのプラットフォームを提供しています。これによって、新製品の導入、外部イベント、流行の変化などに即座に対応できます。
テイラーは、AIエージェントの管理は、技術チームだけでなく、カスタマーエクスペリエンスチームが直接関与すべきだと主張しています。 AIエージェントが持つ有機的な適応能力を活かしつつ、これらのチームが主導権を握り、AIエージェントの行動を継続的に調整すべきだと言います。
AIエージェントのパーソナリティ
LLMは、対話する人間の感情を把握し、それに合せたり、会話のトーンを指示によって変えたりできる驚くべき能力を持っています。企業AIエージェントはブランドの特性に合わせて異なった個性を持つことができます。企業AIエージェントは、ブランド大使の役割を持つべきであり、カジュアルなブランドであればざっくばらんな会話のトーン、高級ブランドであれば厳格なトーンなどの設定が可能です。
おわりに
ブレット・テイラーが描く企業AIエージェントの未来は、単なる技術革新を超えて、企業と顧客の関係性を根本的に変える可能性を秘めています。AIエージェントは、企業のデジタルプレゼンスの中心となり、ブランドの顔として機能し、24時間365日、多言語で、パーソナライズされた顧客体験を提供します。
同時に、AIの創造性と制約のバランスを取る「目標とガードレール」アプローチは、AIの力を最大限に活用しつつ、ブランドの一貫性や法的順守を維持するための新しいパラダイムを提示しています。
Sierraは2023年に設立されたばかりですが、すでにワイヤレススピーカーのSonosや衛星デジタルラジオ放送のSirius XMなどの顧客を獲得しています。Sierraの初期のフォーカスは、コスト効果が訴求しやすいB-to-C企業のカスタマーサービスですが、テイラーは企業AIエージェントの価値提案は他のユースケースやB-to-B分野でも同様に成立ち、適用領域は確実に拡大できると考えています。
企業AIエージェントを導入する企業は、自社のブランド価値をどのようにAIエージェントに反映させるか、どのような顧客体験を提供したいか、そしてAIの創造性とガードレールのバランスをどのように取るかを慎重に検討する必要があります。テイラーの洞察は、AIが単なるツールではなく、企業のデジタルプレゼンスそのものになる未来を示唆しており、この変革に早期に対応する企業が、競争優位性を獲得する可能性があると言えるでしょう。
*注:若い世代の方は、あるいはご存知ないかも知れませんが、Google以前は「Yahoo! Directory」 (日本では「Yahoo!カテゴリ」)がウェブ情報検索の中心だった時代がありました。「Yahoo! Directory」 は2014年に、「Yahoo!カテゴリ」は2018年に廃止になっています。