SaaS継続率とは?なぜ重要なのか?
SaaS継続率(リテンション率)は、一定期間における既存顧客の継続利用率を示す重要な経営指標です。例えば月次継続率が95%の場合、毎月5%の顧客が解約していることを意味します。この数値は、事業の健全性と成長性を測る上で最も重要な指標の一つとされています。
継続率の事業インパクト
継続率が事業に与える影響は極めて大きく、特に以下の3つの側面で重要な意味を持ちます。
第一に、収益への直接的な影響です。SaaSビジネスにおいて、新規顧客の獲得コストは既存顧客の維持コストの5-25倍にも及びます。そのため、高い継続率を維持することは収益性の向上に直結します。例えば、月額10万円のサービスを提供する企業が、継続率を95%から98%に改善した場合、1,000社の顧客基盤があれば、年間で約3.6億円の増収効果が見込めます。
第二に、企業価値への影響です。SaaS企業の企業価値評価において、継続率は最も重視される指標の一つです。特に、グロスレベニューチャーンレート(収益ベースの解約率)は、事業の質を測る重要な指標として投資家から注目されています。SmartHRやMoneytreeなど、成長企業の多くが月次継続率99%以上を実現し、高い評価を得ています。
第三に、事業の予測可能性です。継続率が安定していれば、将来の収益予測の精度が向上し、より効果的な経営判断が可能になります。これは投資計画や人員計画など、重要な経営判断の基礎となります。
以下の表より、継続率が収益に与える影響を見てみましょう。
月額10,000円のSaaSサービスを提供する企業を例に考えてみます。この企業が100社の顧客を獲得し、初期の月間売上高は100万円でスタートしたとします。1年後の売上高は、継続率によって大きく変わってきます。
継続率が90%の場合、1年後の月間売上高は約28.2万円まで減少します。一方、継続率を95%まで改善できれば、1年後の売上高は約54.0万円を維持できます。さらに継続率を98%まで高めることができれば、1年後でも約78.5万円の売上高を確保できます。つまり、継続率をわずか3ポイント(95%から98%へ)改善するだけで、1年後の売上高は約24.5万円も違ってくるのです。
このように、一見わずかに見える継続率の差が、長期的には大きな収益格差を生み出します。特に、新規顧客の獲得コストが既存顧客の維持コストよりも大幅に高いSaaSビジネスでは、この違いが利益に与える影響はさらに顕著になります。
業界別の継続率ベンチマーク
SaaS企業の継続率は、製品カテゴリーや顧客セグメントによって大きく異なります。以下に、主要なカテゴリー別の月次継続率の一般的な水準を示します。
エンタープライズ向けSaaS(従業員1000人以上)
- 優良:99%以上
- 平均:97-98%
- 要改善:97%未満
中堅企業向けSaaS(従業員100-999人)
- 優良:98%以上
- 平均:95-97%
- 要改善:95%未満
小規模企業向けSaaS(従業員100人未満)
- 優良:97%以上
- 平均:93-96%
- 要改善:93%未満
特に注目すべきは、顧客企業の規模が大きいほど継続率が高くなる傾向にあることです。これは、大企業ほどシステムの切り替えコストが高く、製品への依存度も高くなるためです。一方で、小規模企業向けサービスでは、価格感度が高く、競合製品への乗り換えも比較的容易なため、継続率は相対的に低くなります。
SaaS継続率は、単なる解約率の逆数ではありません。それは事業の健全性、収益性、そして将来性を映し出す鏡であり、経営者が最も注視すべき指標の一つです。
次に、この重要な指標を正確に計測するための具体的な方法について解説します。
SaaS継続率の計算方法を理解する
継続率の計算には、主に「顧客数ベース」と「収益ベース」の2つのアプローチがあります。それぞれの特徴を理解し、自社の状況に応じて適切な指標を選択することが重要です。
顧客数ベースの継続率
最も基本的な継続率の計算方法は、以下の式で表されます。
例えば、「期首顧客数:100社」「期末顧客数:95社」「新規顧客数:5社」の場合の継続率は (95 - 5) ÷ 100 × 100 = 90% となります。
この方法は計算が簡単で直感的に理解しやすい一方、顧客の価値の違いを考慮できないという限界があります。例えば、月額100万円の顧客と1万円の顧客が同じ重みで計算されてしまいます。
収益ベースの継続率(Net Revenue Retention: NRR)
より実態に即した指標として、収益ベースの継続率があります。
※MRR = Monthly Recurring Revenue(月間経常収益)
例えば「期首MRR:1,000万円」「期末MRR:1,200万円」「新規顧客からのMRR:300万円」の場合、NRRは (1,200 - 300) ÷ 1,000 × 100 = 90% となります。
この指標の特徴は、既存顧客の収益変動を細かく把握できる点にあります。具体的には以下の要素を含みます。
- Expansion Revenue(アップセル/クロスセルによる収益増)
- Contraction Revenue(ダウングレードによる収益減)
- Churned Revenue(解約による収益減)
期間の考え方
継続率は測定期間によって大きく変動します。一般的には以下の期間で測定します。
月次継続率(Monthly Retention Rate)
- 短期的な傾向を把握しやすい
- 季節変動の影響を受けやすい
- オペレーション改善の効果を早期に確認できる
年次継続率(Annual Retention Rate)
- 長期的な事業の健全性を示す
- 季節変動の影響を平準化できる
- 投資家の評価指標として重視される
計算時の注意点
継続率を正確に把握するために、以下の点に注意が必要です。
1. 無料ユーザーの扱い有料契約への転換を促進するために提供する無料プランは、継続率の計算から除外するのが一般的です。これにより、収益に直結する有料顧客の動向をより正確に把握できます。
2. 契約期間の考慮
年間契約と月額契約が混在する場合、それぞれの継続率を別個に計算し、加重平均を取ることで、より正確な指標を得られます。
3. 解約時期の定義解約の定義を明確にすることが重要です。例えば、解約通知を受けた時点なのか、実際のサービス提供が終了した時点なのかで数値が変わってきます。一度定めた基準は一貫して適用する必要があります。
継続率の計算は、一見単純に見えて実は複雑です。自社の事業モデルに合わせて適切な計算方法を選択し、定期的かつ一貫した測定を行うことで、経営判断に活用できる意味のある指標となります。
SaaS継続率を上げるための5つの施策
継続率の向上は、体系的かつ継続的な取り組みが必要です。ここでは、実践的で効果の高い5つの施策について、具体的な実装方法とともに解説します。
1. データドリブンな顧客理解の深化
継続率向上の第一歩は、顧客の行動と声を正確に理解することです。
製品利用データの分析では、ユーザーの行動パターン、機能の利用頻度、継続的に使用される機能と使用されない機能を把握します。例えば、製品内の重要機能の利用率が低い顧客は、解約リスクが高いことが一般的です。このようなデータを基に、以下のような介入が可能になります。
- 利用頻度が低下した顧客への早期アプローチ
- よく使われる機能の改善優先順位付け
- 解約予兆の早期発見と対策
また、定期的なNPS(顧客推奨度)調査や顧客満足度調査を実施し、定性的なフィードバックも収集します。特に、解約した顧客からの詳細なフィードバックは、製品改善の貴重な情報源となります。
2. 戦略的なカスタマーサクセス体制の構築
カスタマーサクセスは、単なるサポート業務ではありません。顧客の成功を積極的に支援する戦略的な取り組みです。
効果的なカスタマーサクセス・プログラムには、以下の要素が含まれます。
- 製品の利用状況
- 顧客の目標達成度
- ビジネス上の成果
これらの指標を基に、各顧客に対して適切なタイミングで必要な支援をしましょう。例えば、製品の高度な機能の活用方法を提案したり、業界のベストプラクティスを共有したりすることで、顧客の製品活用度を高めることができます。
3. 早期から価値を感じさせる
顧客が製品の価値を実感するまでの時間を短縮することは、継続率向上の重要な要素です。効果的なオンボーディング・プログラムを実装することでサービス導入後、すぐに価値を感じさせることができるでしょう。
特に重要なのは「初期成功体験」の創出です。例えば、データ分析ツールであれば、顧客が最初の有意義なレポートを作成できた時点が重要な成功体験となります。このような成功体験までの道筋を明確にし、それを支援する体制を整えることが重要です。
4. プロダクトの継続的な進化
顧客のニーズは時間とともに変化します。この変化に対応し続けることが、長期的な継続率の維持には不可欠です。
まず、顧客フィードバックの収集と分析を体系化します。製品内でのフィードバック収集機能の実装、定期的なユーザーインタビュー、使用状況の分析などを組み合わせることで、より正確なニーズ把握が可能になります。
次に、収集したフィードバックを製品改善に反映するプロセスを確立します。優先順位付けの基準を明確にし、改善の効果を測定可能な形で実装することが重要です。
例
- 使用頻度の高い機能の使いやすさ向上
- 新機能の追加による価値提供の拡大
- パフォーマンスや信頼性の継続的な改善
5. 柔軟な価格戦略の展開
価格戦略は、継続率に直接影響を与える重要な要素です。顧客の成長に合わせて、適切な価値を提供し続けることが重要です。
効果的な価格戦略の要素
1. 利用量ベースの段階的な価格設定- 顧客の成長に応じて自然に価格が調整される
- 小規模での利用開始を容易にする
- 必要な機能のみを選択可能
- 段階的な機能追加による成長支援
- 年間契約による割引の提供
- 契約期間に応じた特典の付与
これらの要素を組み合わせることで、顧客の多様なニーズに応える柔軟な価格体系を実現できます。
特に重要なのは、価格と提供価値のバランスを継続的に最適化することです。定期的な価値分析と価格見直しのサイクルを確立し、顧客の成長段階に応じた適切な価格設定を維持することが、長期的な継続率向上につながります。
おわりに
SaaSビジネスにおける継続率の改善は、一時的な取り組みではなく、継続的な事業改善の中核として位置づける必要があります。現状の正確な把握から始まり、解約の根本原因の特定、そして効果的な施策の実行まで、包括的なアプローチが求められます。
継続率を1%改善するだけで、長期的には大きな収益改善につながります。特に、新規顧客の獲得コストが既存顧客の維持コストよりも大幅に高いSaaSビジネスでは、この違いが利益に与える影響はさらに顕著になります。