はじめに
SaaS(Software as a Service)事業は、近年著しい成長を遂げています。しかし、競争が激化する中で、いかに効率的に顧客を獲得し、事業を成長させていくかが課題となっています。そこで重要な指標となるのが、CAC(Customer Acquisition Cost、顧客獲得コスト)です。
CACは、新規顧客を獲得するために必要なコストを表す指標であり、SaaS事業の収益性に直結します。CACを適切にコントロールし、改善していくことが、SaaS事業の成長を加速させる鍵となるのです。
本記事では、CACの基本的な意味や計算方法から、SaaS事業におけるCACの重要性、そしてCACを改善するための具体的な方法まで、詳しく解説していきます。SaaS事業者の方はもちろん、これからSaaS事業を始めようと考えている方にも、ぜひ参考にしていただければ幸いです。
CACとは何か?基本的な意味と定義
CACとは、Customer Acquisition Costの略で、新規顧客を1人獲得するために必要なコストのことを指します。具体的には、広告費、マーケティング費用、セールス人件費など、顧客獲得に関連するすべての費用が含まれます。
例えば、ある月に広告費に100万円、マーケティング費用に50万円、セールス人件費に200万円をかけ、結果として100人の新規顧客を獲得できたとします。この場合、CACは以下のように計算されます。
CAC = (100万円 + 50万円 + 200万円) ÷ 100人 = 35,000円
つまり、1人の新規顧客を獲得するために、平均35,000円のコストがかかっていることになります。
CACは、CPAとも呼ばれることがあります。CPAはCost Per Acquisitionの略で、CACと同じく顧客獲得コストを表します。ただし、CPAは主に広告費用に焦点を当てた指標であるのに対し、CACは広告費だけでなくマーケティングやセールスなど、顧客獲得に関わる費用全般を対象とする点に違いがあります。
SaaS事業におけるCACの重要性
SaaS事業は、一度顧客を獲得すれば、継続的に収益を上げることができるというビジネスモデルが特徴です。しかし、その一方で、初期の顧客獲得コストが高くなる傾向があります。サービスの開発費用や、マーケティング、セールスにかかる費用が先行するためです。
そのため、SaaS事業者にとって、いかに効率的に顧客を獲得するか、つまりCACをいかに低く抑えるかが重要な課題となります。CACが高くなれば、それだけ収益性が悪化し、事業の成長が鈍化してしまうからです。
また、CACとLTV(Life Time Value、顧客生涯価値)のバランスも重要です。LTVとは、顧客が生涯にわたって生み出す利益の総額のことを指します。SaaS事業では、LTVがCACを十分に上回ることが理想的です。一般的に、LTVがCACの3倍以上あることが望ましいとされています。
CACの計算方法
CACの基本的な計算式は、以下のようになります。
CAC = 顧客獲得のための総費用 ÷ 獲得顧客数
顧客獲得のための総費用には、広告費、マーケティング費用、セールス人件費など、顧客獲得に関連するすべての費用が含まれます。獲得顧客数は、その費用をかけた結果、実際に獲得できた新規顧客の数を指します。
ただし、CACを計算する際には、いくつか注意すべき点があります。まず、CACは一般的に、獲得チャネル別に計算されます。チャネルとは、顧客獲得の手段のことで、Google広告、Facebook広告、ダイレクトメール、セールス、パートナー経由など、様々なものがあります。
チャネル別にCACを計算することで、どのチャネルが効率的で、どのチャネルが非効率なのかを知ることができます。チャネル別のCAC計算を行うことで、マーケティング予算の最適化などに役立てることができます。
また、CACの計算には、Organic CAC、Paid CAC、Blended CACの3つの種類があります。
- Organic CAC:自然流入(検索エンジン経由、口コミなど)で獲得した顧客のCAC
- Paid CAC:広告などの有料施策で獲得した顧客のCAC
- Blended CAC:Organic CACとPaid CACを合わせた全体のCAC
Organic CACは、広告費などの直接的なコストがかからない分、一般的にPaid CACよりも低くなる傾向があります。しかし、自然流入を増やすためのSEO対策やコンテンツマーケティングなども、間接的なコストとして考慮する必要があるでしょう。
Paid CACは、広告費を獲得顧客数で割ることで計算されます。ただし、広告から直接的に獲得した顧客だけでなく、広告を見た後に自然流入で登録した顧客なども、Paid CACに含めるべきだと考えられています。
Blended CACは、Organic CACとPaid CACの加重平均として計算されます。全体の獲得顧客数に対するOrganic、Paidの獲得顧客数の割合を考慮して、平均を出すのです。
例えば、ある月の獲得顧客数が100人、そのうちOrganic経由が70人、Paid経由が30人だったとします。Organic CACが1人あたり2万円、Paid CACが1人あたり6万円だった場合、Blended CACは以下のように計算されます。
Blended CAC = (2万円 × 70人 + 6万円 × 30人) ÷ 100人 = 3.2万円
このように、Organic CACとPaid CACを組み合わせることで、全体のCACを把握することができます。
【コラム】正確なCAC計算のために必要な視点とは
CACを正確に計算するためには、以下のような視点が必要です。
- 獲得費用の範囲を明確にする:広告費だけでなく、マーケティング人件費、セールス人件費、パートナー報酬など、顧客獲得に関わるすべての費用を洗い出し、計算に含める。
- 獲得顧客の定義を明確にする:無料トライアルユーザーも獲得顧客に含めるのか、課金ユーザーのみを対象とするのかなど、獲得顧客の定義を決めておく。
- 時間軸を考慮する:月次、四半期、年間などの期間を定めて計算する。特に、サービス開始直後は顧客獲得コストが高くなる傾向があるため、長期的な視点が必要。
- 貢献度を考慮する:複数のチャネルが顧客獲得に関わる場合、各チャネルの貢献度をどう評価するか。
これらの点に注意しながら、CACを計算することが重要です。
ユニットエコノミクスの観点からCACを捉える
CACを考える上で重要なのが、ユニットエコノミクスの概念です。ユニットエコノミクスとは、一人の顧客から生み出される利益と、その顧客を獲得するためのコストを比較する考え方のことを指します。
ユニットエコノミクスの基本的な指標は、以下の2つです。
- LTV(Life Time Value、顧客生涯価値):顧客が生涯にわたって生み出す利益の総額
- CAC(Customer Acquisition Cost、顧客獲得コスト):新規顧客を1人獲得するために必要なコスト
SaaS事業では、このLTVとCACの比率(LTV/CAC比)が重要な指標となります。先述の通り、一般的にLTV/CAC比が3倍以上あることが理想的だと言われています。
LTV/CAC比が高ければ、それだけ効率的に顧客を獲得し、利益を上げられていることを意味します。逆に、LTV/CAC比が低い場合は、顧客獲得コストが高すぎるか、顧客からの利益が少なすぎるか、いずれかの問題があることを示唆しています。
例えば、LTVが30万円、CACが15万円の場合、LTV/CAC比は2倍です。この場合、CACの削減や、顧客単価を上げてLTVを向上させるなどの対策が必要でしょう。一方、LTVが100万円、CACが20万円の場合、LTV/CAC比は5倍と非常に高いレベルにあります。この場合は、さらなる成長に向けて、より積極的に顧客獲得に投資することも検討できるでしょう。
このように、ユニットエコノミクスの観点から、LTVとCACのバランスを見ることで、SaaS事業の健全性を評価することができます。そして、そこから導き出される改善策は、事業の成長に直結するのです。
CACを改善するための施策と方法
では、具体的にCACを改善するには、どのような施策が有効でしょうか。ここでは、主要な施策を5つ紹介します。
- 顧客獲得チャネルの最適化
まず、顧客獲得チャネルごとにCACを計算し、効率の良いチャネルに予算を集中させることが重要です。効率の悪いチャネルへの投資は思い切って削減し、より効果の高いチャネルを見つけ出す努力が必要でしょう。
例えば、Google広告のCACが1人あたり10万円、Facebook広告のCACが1人あたり5万円だったとします。この場合、Facebook広告により注力することで、全体のCACを下げることができるかもしれません。
- コンバージョン率(CVR)の改善
Webサイトや広告のコンバージョン率を上げることも、CACの改善に直結します。コンバージョン率が上がれば、同じ予算でより多くの顧客を獲得できるからです。
コンバージョン率を上げるためには、ランディングページの最適化、ユーザビリティの向上、効果的なCTAの配置など、様々な施策が考えられます。例えば、ランディングページのデザインを改善し、問い合わせボタンを目立つ位置に配置することで、問い合わせ数が50%アップしたという事例もあります。
- 顧客管理ツールの活用
SFAやCRMなどの顧客管理ツールを活用することで、セールスの効率化とCAC削減を実現できます。これらのツールを使えば、有望なリードに適切なタイミングでアプローチすることが可能です。結果として、無駄な営業コストを削減し、CACを下げることにつながるでしょう。
また、MAツールを導入することで、リードのナーチャリング(育成)を自動化できます。適切なタイミングで適切なメッセージを配信することで、リードを効率的に顧客化することができるのです。
- セールス&マーケティングプロセスの見直し
セールスとマーケティングのプロセスを見直し、無駄を省くことも重要です。例えば、セールスとマーケティングの連携が不十分だと、同じ顧客に重複してアプローチしてしまうことがあります。これは、無駄なコストにつながります。
セールスとマーケティングが密に連携し、役割分担を明確にすることで、このような無駄を省くことができるでしょう。また、リードの評価基準を見直し、優先順位をつけることも大切です。優良リードに集中することで、CAC削減につなげることができます。
- プロダクトの改善
プロダクト(サービス)そのものを改善することも、CACの削減に効果的です。より優れたプロダクトは、口コミでの拡散を生み、自然流入を増やすことにつながります。結果として、新規顧客獲得のコストを下げることができるのです。
また、優れたプロダクトは、顧客満足度を高め、解約率の低下にもつながります。解約率が下がれば、LTVが向上し、結果としてLTV/CAC比の改善につながるでしょう。
以上のように、CACを改善するためには、マーケティング、セールス、プロダクトなど、様々な領域で施策を実行することが求められます。これらの施策を組み合わせ、PDCAサイクルを回していくことが重要だと言えるでしょう。
CACを改善した企業の事例
ここでは、CACの改善に成功したSaaS企業の事例を2つ紹介します。
1つ目は、オンラインストレージサービスを提供する大手企業の事例です。同社は、Webサイトのデザインを大幅に見直し、ユーザビリティを向上させました。また、口コミでの拡散を促進するために、友人紹介キャンペーンを実施。結果として、自然流入が大幅に増加し、CACを50%以上削減することに成功しました。
2つ目は、配車サービスを提供する大手企業の事例です。同社は、機械学習を活用し、需要予測の精度を高めました。これにより、ドライバーの配置を最適化し、ユーザーの待ち時間を短縮。サービスの利便性が向上し、リピート率と口コミでの拡散が増加しました。結果として、CACを30%削減することができたのです。
これらの事例から分かるように、CAC削減のアプローチは企業によって様々です。自社のビジネスモデルや強みを生かした独自の方法を見出すことが重要だと言えるでしょう。
【コラム】CACの改善と企業の成長の関係性
CACの改善は、SaaS企業の成長に直結します。CACが下がれば、同じ予算でより多くの顧客を獲得できるようになるからです。そして、顧客数の増加は、MRR(Monthly Recurring Revenue、月次経常収益)の増加につながります。
また、CACの改善は、利益率の向上にも寄与します。獲得コストが下がれば、それだけ1顧客あたりの利益が増えるからです。利益率が向上すれば、さらなる成長投資が可能になり、好循環が生まれます。
一方で、CACが高止まりしたままだと、事業の成長は鈍化します。新規顧客の獲得が進まず、収益の伸びも停滞してしまうでしょう。そして、競合他社に市場を奪われるリスクも高まります。
このように、CACの改善は、SaaS企業の成長と競争力に直結するのです。常にCACを意識し、改善に努めることが、SaaS事業者にとって極めて重要だと言えるでしょう。
まとめ
本記事では、SaaS事業の成長において重要な指標であるCACについて、詳しく解説してきました。CACの基本的な意味や計算方法、SaaS事業における重要性、改善のための具体的な方法などを説明しました。
CACは、SaaS事業の収益性に直結する極めて重要な指標です。新規顧客の獲得コストを表すCACを適切にコントロールし、継続的に改善していくことが、SaaS事業の成長には欠かせません。そのためには、マーケティング、セールス、プロダクトなど、様々な領域で施策を実行し、PDCAサイクルを回していく必要があるのです。
また、CACと合わせて、LTV、MRR、解約率などの指標も重視することが大切です。これらの指標を総合的に見ることで、SaaS事業の健全性を多角的に評価することができます。
SaaS事業者の皆様におかれましては、是非本記事を参考に、CACの重要性を再認識していただければと思います。そして、自社のSaaS事業の成長に向けて、CACの改善に取り組んでいただければ幸いです。CACの改善は容易ではありませんが、その努力は必ず事業の成長につながるはずです。
FAQ
Q. CACを下げるとLTVも下がるのはなぜ?
A. CACを下げるために、顧客獲得の基準を緩くすると、顧客の質が下がる可能性があります。質の低い顧客は、利用期間が短くなりやすく、結果としてLTVが下がってしまうのです。
Q. CACとROIの関係は?
A. ROI(Return On Investment、投資収益率)は、投資に対する収益の割合を表します。CACは投資(顧客獲得のためのコスト)の部分に当たるので、CACが下がればROIは上がります。
Q. CACの適正値は?
A. 業界や企業によって異なりますが、一般的にはLTVの1/3以下が目安とされています。つまり、LTVの3倍以上のCACは高すぎると考えられています。
Q. クロスセルやアップセルはCACにどう影響する?
A. クロスセルやアップセルは、既存顧客からの収益を増やす施策です。新規顧客を獲得するよりもコストが低いので、全体のCACを下げる効果があります。
Q. プロダクト改善とCACの関係は?
A. プロダクトが改善され、ユーザー満足度が上がれば、口コミでの拡散が期待できます。これによって自然流入が増え、CACを下げることができるでしょう。
Q. CACを改善するためのマーケティングオートメーションツールは?
A. HubSpotやMarketo、Pardotなどが有名です。これらのツールを活用することで、リードのナーチャリングを自動化し、効率的に顧客を獲得することができます。
【コラム】SaaS事業者が見落としがちなCAC改善の盲点
SaaS事業者がCACの改善に取り組む際、見落としがちな盲点があります。それは、解約率(チャーンレート)の影響です。
新規顧客を獲得するためのコストを削減することばかりに目が行きがちですが、せっかく獲得した顧客が早期に解約してしまっては意味がありません。獲得コストをかけた分、顧客に長く利用してもらう必要があるのです。
そのため、CACの改善と並行して、解約率を下げる取り組みも重要です。具体的には、オンボーディングの改善、ユーザーサポートの強化、プロダクトの改善などが挙げられます。これらの施策により、顧客満足度を高め、長期的な利用を促進することが大切なのです。
CACと解約率、両方の指標を意識し、バランスの取れた施策を実行することが、SaaS事業の健全な成長につながります。CACの改善に偏るのではなく、顧客の定着にも目を向ける。これがSaaS事業者の皆様に心がけていただきたいポイントです。
【コラム】ベンチャー企業がCAC改善に取り組む際の留意点
ベンチャー企業、特にシード期やアーリー期のスタートアップは、CAC改善に取り組む際、いくつかの点に留意する必要があります。
まず、事業の優先順位を見極めることが大切です。スタートアップは限られたリソースの中で事業を進めなければなりません。そのため、CACの改善よりも、プロダクトの開発や市場適合性の検証を優先すべき場合があります。事業フェーズに合わせて、適切な優先順位付けを行うことが重要なのです。
また、短期的なCAC改善に囚われすぎないことも大切です。初期のスタートアップは、市場の反応を見ながら、試行錯誤を繰り返す必要があります。その過程で、一時的にCACが高くなることもあるでしょう。長期的な視点を持ち、必要な投資は惜しまないことが肝要です。
さらに、資金調達との兼ね合いも考慮しなければなりません。投資家は、事業の成長性を重視します。CAC改善のために過度にコストを削減し、成長が鈍化してしまっては本末転倒です。資金調達戦略とCAC改善のバランスを取ることが求められるでしょう。
スタートアップがCAC改善に取り組む際は、これらの点に留意し、自社の状況に合わせた施策を実行することが重要だと言えます。
【コラム】事業フェーズ別のCAC改善の考え方
CACの改善は、SaaS企業の事業フェーズによって、その考え方を変える必要があります。
スタートアップ期は、プロダクトの改善と市場適合性の検証に注力するフェーズです。この時期は、CACが高くても、一定の新規顧客獲得に投資することが重要です。ユーザーのフィードバックを収集し、プロダクトの磨き上げを進めることが優先されるべきでしょう。
グロース期に入ると、事業の拡大に向けて、本格的にCACの改善に取り組む必要があります。セールス・マーケティングの効率化、チャネルの最適化などにより、より効率的に顧客を獲得することが求められます。同時に、プロダクトの拡充により、LTVの向上も図っていくことが大切です。
成熟期に入ると、CACのさらなる改善と、解約率の低下に重点が置かれます。既存顧客のアップセルやクロスセルにより、顧客単価を上げていくことが重要なのです。また、チャーンの原因を分析し、顧客の定着率を高めるための施策を講じることも必要でしょう。
このように、事業フェーズによって、CACに対するアプローチは変わってきます。自社がどのフェーズにあるのかを正しく認識し、適切な施策を実行することが重要だと言えるでしょう。