シリアルアントレプレナーから、真の経営者としての自己成長を目指す。最近思うこと。

経営・ビジネスハック

こんにちは、イノーバ代表の宗像です。

もともと僕は、スタートアップの経営者として持つべきゴールは、売上をあげること、その一点だと考えておりました。ただ最近では、漫然と業績をあげていくだけでは、経営者として不十分だと思うようになりました。そこで今回は、起業の経緯とともに、僕が思う「あるべき経営者像」についてお話いたします。

被災体験が起業を挑戦するきっかけに

僕は2011年の6月に会社を創りました。直接的なきっかけは東日本大震災です。ふるさとである福島は、津波、原発事故という重大なダメージを受けました。

僕自身も、地震が起こったあの瞬間には「もうだめだ」と思いました。 小さいころにノストラダムスの話を聞いて「世界が終わったらどうなるんだろう。自分が死んだあとの世界ってなんなんだろう、怖いな」と思っていました。あの地震の瞬間にはその「世界の終わり」を感じました。

沢山の人があの震災で命を落としました。また、生存された方の中にも、震災によって家を無くす、家族を無くすなどの被害を受け、いまだに苦しんでいる人も大勢いらっしゃいます。幸いに、私の実家は大きな被害を受けずに済み、東京にいた私自身も無事だった。

ただ、そんな中、僕が考えたのは、こういうことなのです。「今まで自分なりに努力して頑張って来たつもりだったけれども、本当の意味で頑張ってきたのだろうか? 実は、毎日を漫然と過ごして来たということは無いだろうか? 毎日が同じように続くと考えていて、ぼんやりとした努力をしてたのではないか?」

今回の大震災で学んだのは、人間っていうのは、本当に儚くて、自分もいつ突然の死を迎えるか、それは予測できないということ。自分は、大変有り難いことにあの大地震を生き残った。であれば、震災の時に一度は死ぬ覚悟を決めたわけだから、毎日を大事に生きないといけない。

さまざまな制約を全部無くそう。弱い自分への言い訳、色々なしがらみ、そういうものを全部捨てて、明日死ぬという前提でチャレンジしないといけないのではないか? 

そう考えたときに、今なすべきことは、自分がずっと課題意識を感じていたところである、起業を通じた社会変革これに挑戦しないといけないのではないか、と思いました。

僕は、ITという仕事に携わるなかで、米国式の起業が当たり前の社会になるべきだと考えていました。それまで起業がどういったものかも知りませんでしたし、どうやって会社を大きくするか、どうやって事業を成功させるかもわからなかった。

それでも、まずはやってみようと思いました。必死に書籍を読み漁り、先輩経営者の話を聞き、リーンスタートアップなどの先端の考え方について、仲間たちと勉強会を開きました。 友人と一緒に会社を作った訳ですが、当時は正直先のことはあまり考えないようにしていました。初めての起業のチャレンジで自分がどこまでやれるかわからない。けれども、挑戦してみよう。刀が折れ矢が尽きたら潔く撤退をしよう、それくらいに考えていました。

もし、万が一、事業がうまくいったら、どこかのタイミングで事業を売却してまた別の事業を起こす、いわゆる「シリアルアントレプレナー」を目指すも良い、次にベンチャーキャピタルの仕事を目指すのも良い、と考えていたんです。

目指していた山の低さに気付かされる

ただ、社員が増えて、お取引をいただける会社様が増えるにつれて、自分の責任の重さを改めて自覚をいたしました。従業員の雇用を守り、キャリアを作ってあげないといけない、お客様がビジネスで成果を上げて頂けるように、必死でサービス内容を磨かないといけない。

新米のベンチャー社長としては、毎日毎日が必死なのですけれども、そんな中、ふと改めて考えたのは、「これまで自分はずいぶん低い目標を掲げていたな」ということです。

自分は富士山を目指して歩いてきたつもりだったけれども、実は目指していたのが高尾山くらいだったということに気付いたのです。 そう思った理由の一つは、ユニクロの柳井さんの話です。柳井さんがよく言っているのは、「2,000億円ぐらい売上げがないとベンチャーはだめだ」ということ。2000億円位の規模がなければ、経済に全く影響を与えた事にならない。2,000億円で営業利益10%を目指すべきだという話です。

この話を聞いて、頭をガツンと殴られたような衝撃を感じました。 実は、柳井さんご自身が、家業であった、山口県の紳士服店の跡を継ぐ所からスタートしている。直後に従業員が離反し全員辞めたった一人で店を切り盛りする、まさにそういう所からスタートしている。

しかし、成長の軌跡を見ると実に計画的に展開されている。最初は、ロード・サイドの郊外型店舗として多店舗展開を進める。当時、扱っていた商品はカジュアル・ウェア。競合と比べて商品の品揃えでの差別化はそれほど無かったように思います。それから利益率を高めるために、企画から製造まで自社で行うSPAモデルに推移し、さらにはグローバル展開、都心型の大型店舗モデルの開拓を行う。そして今はEコマース率を50%超を目指すなど、ビジネスを大変計画的に成長させていらっしゃる。

「柳井さんはもともと素質があったのだ、偉大な経営者として産まれたのだ」という思い込みが僕にはあったけれども、どうも本を読み、柳井さんのお話に触れるにつれて、そうではないのではないか、と思い始めてきました。柳井さんも日々の経営の中で、悩み苦しみ、大変な努力をされて、そういう努力の積み重ねで、偉大な経営者になられたのだということに気付いたのです。

柳井さんによれば、まずはビジョンが大事だと。「世界一のアパレル企業を作る」という一見突拍子も無いビジョンを掲げる。そのビジョンを大変な情熱を持って必死に心に描き続ける、そこから今のユニクロの急成長が産まれているのだということに気付いたのです。

偉大なビジョンが周囲の共感を生み人を集める。そして、柳井さん自身が一番献身的に努力をする。それが今のユニクロを作っている。そう考えるようになったのです。ユニクロの柳井さんのご経験を知り、自分のビジネスや自分のビジョンのありようを考えたときに、もう1回初心に戻って、目標を定め直さないと行けない、どこの山を目指すのか考え直さなきゃいけないと思ったんです。

起業当初に考えていた、事業を売却をして次にまた面白いことをしよう、という発想は、ずいぶん経営を甘く見ていたし、心構えとして全くなってなかったなと大変恥ずかしくも感じました。

そもそも、企業は社会の公器である。経営というのは雇用を作り出しお客様に価値を提供する、とても尊い営みである。企業である以上、売上拡大、収益拡大を目指し存続しないといけない、しかし、これは当たり前のこと。自分が人生をかけて、チャレンジしようと思ったこの事業をどれだけ大きなもの育てられるか、社会を変革する力になれるのか、そこが大事なのではないかと思い直したのです。

富士通の大先輩に支えられて

もうひとつ最近の心境の変化の理由として、弊社の顧問を10月から手伝ってくださっている和田信雄さんとの出会いがあります。

和田さんは、僕の古巣である富士通の大先輩ですが、もともと面識はありませんでした。Facebook経由でご連絡をいただいてお会いすることができたのですが、富士通で関西支社長を務めたり、子会社で副社長を務めたりということで、大活躍されていた人です。

心から叱ってくれる人が身の回りにいること

彼が、イノーバの事業には将来性を感じる、宗像も見所があるから面倒を見てやる、男にしてやろう、そう仰って下さって、イノーバの顧問になってくださいました。僕が和田さんについて行こうと決めたのは、こういう出来事なのです。

彼が、お客様とのアポイントを調整して下さっていて、候補日のメールを下さっていたのですが、僕が返事をせずに18時間位間隔を空けてしまったんです。そうしたら、和田さんが大変な勢いで私を叱って下さいました。「宗像君、返事はすぐ返さないとダメよ。僕は、24時間、365日臨戦態勢でやってるんだから。連絡をしている相手は、社長とか役員さんで忙しい人達なんだから。とにかく早く返事しないとダメよ」そう仰ってくださったんです。

僕は、自分の対応のまずさを反省すると共に、こうして叱って下さる方が近くに居てくれることの有り難みを本当に感じたのです。 自分はまだまだ新米のベンチャー社長だ。その自分が、柳井さんのような偉大な経営者を目指すならば、自分が至らない所を指摘し心から叱ってくれる方に近くに居て貰えないと、とてもそんな高みは目指せない、そう考えたのです。

それから、和田さんと一緒にお客様を訪問して歩いています。貴重なのは、訪問の行き帰りの電車の中や訪問先での待ち時間などに、いろいろなお話をしてくれるということです。和田さんがそもそもどうして富士通に入ったのか? 元々理系の和田さんがなぜ営業になったのか? どのようなかたちでお客さんとの信頼関係を作ったのか、どのようなかたちで売上げを伸ばしていったのか、どうやって社員あるいは自分の部下との信頼関係を作って成長させていったのかという話をいろいろ教えていただいているのです。

さらには、僕が非常に感銘を受けたのは、和田さんが活躍されていた時代の文脈なのです。実は、日本には、「コンピュータ国産化プロジェクト」という通産省肝いりのプロジェクトがありました。

戦後、石油が欧米のメジャーに独占されてしまっていたように、コンピュータもIBMが独占をしていました。そのような中、通産省が音頭を取って、「コンピュータ国産化プロジェクト」を推進していたのです。石油が大量生産時代に欠かせないのと一緒で、コンピューターは情報化時代には欠かせない技術だ。それを海外に頼ってはいけないという考えだったようです。

その文脈のなかで、富士通は、世界のグローバル企業であるIBMに対して挑戦し、どんどんシェアを奪っていった。そんな時代で、先陣を切っていたのが、和田さんなのです。 また、これも巡り合わせだなと思うのですが、私が富士通に入社して担当していたのが、アムダールという会社。これはIBMの互換機を製造するベンチャーで、富士通が技術支援、資金支援をしていた会社でした。まさにIBMをリプレースするのを使命としていた会社です。これもまた不思議な縁だなと思いました。

また、和田さん同様に僕を見守って育ててくれる方としては、当社の監査役の関榮一さんという方が居ます。関さんは日本興業銀行のご出身で、みずほ銀行の常務をされ、そのあと楽天グループ入りされています。同じ楽天出身というご縁で、知り合うご縁をいただき監査役になっていただきました。

就任当時は、新米社長ということでずいぶんご心配をお掛けしましたが、関さんのご指導のおかげもあり、成長できているのかなと思っております。関さんからは、「イノーバのビジネスは必ず伸びる。半年後か、1年後か、3年後か判らないけれども、絶対に伸びると思っている」というようにお話をいただいて、大変心強く思っております。また、それ以上にありがたいのは、「宗像さんは真面目で一生懸命だ。良い所がある。それを大事にするように」ということでお話をいただいているということです。

関さんは、これまで様々な企業と関わってこられ、多くの経営者を見て来られた方だと思います。そんな関さんが、「努力を大事に、頑張るように」と仰ってくれるからには、自分はやるしかない、そう考えているのです。

私がやはり改めて思うのは、自分達が今こうして平和な日本に生まれ豊かさを享受できているのは、我々の大先輩が築き上げてきた土台の上に成り立っているとうこと。

第二次大戦での敗戦の中、瓦礫の中での戦後復興を必死の思いで作ってきて下さった先輩型の恩恵の上に成り立っている。日本は、少子高齢化、多額の財政赤字と問題は大きいけれども、自分達が先輩のバトンを受け継いで、しっかりと次の世代に受けついでいかないといけない、そういう想いを抱くようになりました。

我々は、「先人が作ってきたものを借りている」そういう謙虚な想いを持つこと、そして、次の世代のために、大きな課題解決を目指す、世のため人のためになる事業を行う、これが本当に大事なのではないかと思うようになりました。

あの大震災で自分は一度死んだのだ、そう考えて、毎日毎日を必死で生きる。自分が生きている意味が何なのか、自分の持っている使命が何なのかを考えて、その使命を実現するために粉骨砕身努力する、そういうことが大事なのだと考えています。

人間なんて結局ちっぽけな存在で、生かされている存在ですから。僕は、人間は「ありんこ」みたいなものだと思っています。ただし、「尊いありんこ」なんです。

もう一度創業のときの原点に立ち返って、「自分が目指すべき山の大きさはどのくらいなのか。そのときに自分はどのくらいのレベルの能力がないとその山に登れないのか」ということを考え直し、自己成長を改めて決意をしました。

創業から4年半。毎日が猛烈なスピードで過ぎてきました。ベンチャーは毎日が本当に忙しい。振り返る暇もないんです。ただ、日々漫然と仕事をこなしているだけ、課題に対応していくだけだと、世界に影響力を与える事業は創れない。

まずは売上2,000億円を目標に。そこからはじめる

まずは柳井さんがおっしゃるように、2,000億円をゴールにしよう。当然その延長線上には、もっと大きくしたいという思いもありますが、それはそれで考えるとして、まずは2,000億円にする。それをいつまでにするのか、どういう事業でするのか、どこにビジネス・チャンスを見出すのか。どんな組織体制で、どういう社員数で、といったことも考えながら歩んでいきたいと思います。

「動機善なりや、私心なかりしか」

これからは、日本でも起業が増えないとだめだと思います。もっともっと若い人がチャレンジして、新しい事業、新しい会社が生まれることが大事です。あらゆる企業がグローバルに進出していくことを考えるべきでしょう。これから少子化が急激に進み、内需が縮小していく訳ですから。オリンピックに浮かれている場合では無いんです。 最近は、京セラの創業者である稲盛和夫さんの本を読んでいます。

Facebookなどでも書いていますが、経営は突き詰めていくと道徳的な感じになってくるんです。資本主義の側面ももちろんありますが、雇用を作って世の中の発展に貢献するという側面がすごく強い。 著書で書かれていますが、「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉があります。また、「心の中の座標軸」という言葉を稲盛さんはおっしゃいますが、そういったものをしっかりともっておかないと、いつしか変な方向に進んでしまうかもしれません。

動機は善で、私心をなくし、心の座標軸をもって事業を行うこと。それが自分らしい経営のありかたであり、そのようになろうと、最近は強く思っています。